ライフ イン スウェーデン

スウェーデンでの日々の雑感、旅行記、サッカー観戦記、などなど。

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再びベルリンへ

3月14日土曜日、朝ゆっくり起きて、またArvikaさんのつくった朝食をがつがつと食べる。

やっぱ、ごはんとみそしる、朝はこれではじまるよね。日本人としては。
前回のニッチな国歴訪では、ホテルなんぞに泊まったので、ホテルの朝食。
しかし、2回目で飽き飽きしたよ。

Arvikaさんとは今回ゆっくり楽しくお話させていただいた。
さすがはヨーロッパへの先駆者、スウェーデン社会への鋭い指摘は、いつものことながら的を得ている。こればっかりは、「じっさいスウェーデンで働いて、他の労働者の働き具合をみた」ものでないと語れない部分だと思います。
ちなみに、Arvikaさん推薦のこちらのブログもあわせて、スウェーデンで働けば見えてくるものがあるといっていいでしょう。

スウェーデンの労働者保護はすばらしいと思います。しかしながら、保護しすぎて企業自体の負担が増えて、それが製品の値段や品質に影響することは必至であり、そういう意味で、スウェーデンの企業の国際競争力は日本やドイツ、アメリカにはかなわないだろうと思っております。

この国、ありときりぎりす、の、きりぎりすしかいないのに何故こんなに豊かなのか???とこの国に来てからずっと思っておりましたが、まあ、ここ数年でどうなるか見守って行きたいと思います。

ただ、だからこそ僕をふくめた、言葉が不自由な、ありとして働くべきものも入り込めるわけなんですけどね。

朝、駅に送ってもらい、再会を約束して、電車へ。そして昼くらいにまたベルリンへ。
ホステルに荷物をおいて、町へ。

今日は、壁博物館へいった。ベルリンの東西分断に関する多量の資料や写真をみることができる。
その博物館の前の道にも、壁に写真が貼ってあり、当時の状況を知ることができる。

しばらく歩いたらそこには残されたベルリンの壁もある。

それは、東側、の崩壊のモニュメントとして意味があるだろう。どんなに優秀な国民がいても、政治体制がだめなら国が貧困と暴力と人権抑圧に苦しまなざるをえない、ということをまさに歴史が証明した。

あともうすこしたてば、板門店でも同じような博物館ができるだろう。何年後かわからないけど。

そうそう、僕は2006年にキプロスにいったんだけど、キプロスの首都は当時、真ん中で北と南に分断されていて、その境界領域は異様な雰囲気だった。いまはどうなってるんだろうね?

そこから町を散策して、適当に食べて寝た。

しかし、なんとホステルの一階がクラブ。そして土曜日。夜中4時まで大音量で大騒ぎ。

こんなにうるさい思いをした滞在はいままでになかった。いけばいいじゃないか、と思われるかもしれないが、入り口は人が並んで入場制限、警備員の二重のたちいりチェックがあった。というわけで、うるさいだけだった。安いということはこういうことですな。

そして、一気に最終日。3月15日 日曜日。
この日、ポツダムにいった。そう、ポツダム宣言のポツダム。
そのポツダムの会議が行われた宮殿にいって、その会議が行われた部屋もいった。
米英ソの当時の首脳の写真なども展示されていた。ソ連や英国の首脳の控え室なども見た。

当時の空気を感じるべく、そのテーブルに視線を凝らせて見た。

ドイツの処理の問題。ポーランドを西に移動させる、という、ドイツにしてはひどいことも話し合われた、ことなども音声ガイドで流れていた。

ほとんど説明もされなかったが、日本のあの昭和20年8月もこの会議の延長線上にある。

僕は以前、サイパン旅行にいったときに、日本に原子爆弾をおとしたB29が舞い上がった滑走路跡を訪れたことがある。あつい日だった。きっと昭和20年の8月のテニアン島も暑かったのだろう。目を閉じると銀色の翼をひろげて広島に向かって飛び立つ飛行機をまぶたのうらに見えた。

ポツダム会談、原爆投下、そして敗戦。
そしてそこから日本が立ち上がったこそ、いま自分がこのドイツにいるわけである。

ポツダムには宮殿もあり、そこも見学した。そしてベルリンにもどり、Zoo駅から100番というバスにのった。これが観光バスといっていいナイスなコースをとり、テレビ塔の下へ。

まずははらへってしゃーないので、KFCでくって、テレビ塔へ。これ、東の塔だってしったのはほんの数日前。
ガラスが汚れていたのでいまいちだったが、やはり高いところは気分がいい。360度みわたして、ベルリンにさよなら。

夕方、空港へ。そしてあっというまにアーランダへ。氷点下の国、こんばんわ。

東ドイツを巡る旅、かえるさんとArvikaさんのおかげで楽しい滞在の日々を送ることができました。本当にありがとうございました。感謝の言葉で今回の旅日記を終了ししたいと思います。

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塔の上から、サウナのヘリコプター

3月13日金曜
Arvikaさんの作ってくれた朝食をたらふく食べて、車で出発

諸国民の戦いの記念碑へ。
昔ナポレオンの軍隊と、ドイツ、ロシア、スウェーデンなどの連合軍の大きな戦い、ライプチヒの戦いというのがあり、そこでナポレオンを打ち負かした記念の塔。
で、この戦いの連合軍の総司令官(そもそもフランス人)が、その後、スウェーデン国王となり、その血統が現在のスウェーデンの国王まで続いているということで、スウェーデンともなじみがある場所といってもいいでしょう。
で、塔は、でかくて非常にグロテスクな外観です。


内部、こんなかんじ


で、エレベーター、階段で屋上へ
そこからの景色。ライプチヒが一望できます。高いところは好きなので楽しめました。


で、この日の午後はこの後、「ザクセンテルメ」というサウナにつれていってもらいました。
また混浴だったのですが、3回目ともなればもうなれたもの。
で、定時にサウナの石のうえに水着のお姉さん(従業員)が水をまいて、タオルをヘリコプターのようにまわし熱い蒸気をみんなにおくる、というのがみんなの楽しみみたいなのですが、屋外の小屋に、ざっと50人近くがすし詰めってかんじでそれを楽しんでいたのはなかなか不思議な光景でした。
で、3,4,5時のそのヘリコプターを体験して満足して退場。

昼飯ぬいてたので、空腹で、5時台でしたがケバブ屋でケバブとビールを食べました。
スウェーデンのケバブ屋ではビールはライトビールだけなので、やはり普通のビールじゃないとな、と思いましたよ。トルコ人のつくるケバブは美味でした。

で、Arvikaさんの部屋にもどり、またワインなどを楽しんで、ライプチヒ二日目も終了。

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ライプチヒ到着

田舎ののどかな風景をかるくみつつ、国盗り物語3を読みつつ、10時15分、目的地へ。
巨大な駅。そして、コードネームArvikaさんとかなみなみさんとか名乗っているその友人と久々に再会。
彼は、このブログでもコメントしてくれているが、そもそもはMixiで知り合った。彼は日本、ドイツで数年の勤務の後、スウェーデンの僻地、Arvikaという町で勤務していた。ストックホルムにご両親と訪問されたときにそのタイミングで、日本料理屋Naganoで日本人を集めて歓迎会ならびにオフカイならびに飲み会、となったのはたしか2006年か?
で、その後スウェーデンの永住ビザを軽くゲットするもあっさり職場を変えドイツに移住してしまった。他世界各地を仕事で回っており、日本とドイツとスウェーデンの社会、労働環境などについて世界的視野で語ることのできる貴重な男である。
去年は僕の町で研修があったときに夜、彼の滞在するホテルのバーでワインをおごってもらった。これが非常にうまかった。
で、今回おあいするのは3回目となるが、ネットやスカイプ、電話でのやりとりはけっこうあるのでそんなかんじはあまりしない。

で、Arvikaさんの車でまず荷物をかれの部屋に下ろして、町へ。

まずは、この町でもっとも有名な場所へ。

そして、もっとも有名な男の像。


そう、バッハである。彼が演奏していた教会へ。そこには彼のお墓もあった。



そこにはいつもお花が絶えない。今日しか知らないのだがたぶんそうだろう。

そしてそこからあるいて、Stasi博物館へ
Stasiとは旧東ドイツの国家保安庁(秘密警察、諜報機関)

東側の国には欠かせない、相互監視、密告、盗聴、盗撮、身柄捕獲なんでもありの国体維持に必須の庁であることは間違いない。

で、展示品の一部の写真がコレ。
まずは制服


尾行張り込みアイテム、変装グッズ


冷戦時代の東側陣営、ワルシャワ条約機構


他にも、手紙をかってにあけて読んでまた糊付けするための機会や、盗撮用グッズ、東西統一でやばい書類をせっせとつぶしたシュレッダー、監獄なども展示されていた。旧東側のそういった側面をみるにはいい場所である。

ハンガリー、ブダペストにも、テラー博物館というにた趣旨の博物館がありおすすめである。

そして、いい時間になったので、イタリア料理屋でパスタとビールとコーヒーでひといきつく。外は雨脚が強くなってきた。

続いて東ドイツの歴史や生活を展示する博物館。写真撮影禁止。

戦争の展示から分断時の人々の生活、そして東から西への亡命にかんする映像などもあった。手製の動力付グライダーみたいなので逃げた人の空からの映像や、トンネルをほったひと、命がけでベルリンの川を泳いだ人の映像などなど。

しかし、60-70年代の展示をみてみると、けっこう豊かというかいい時代も東にはあったようにもおもう。そのあと、経済的に西にどんどん差をつけられて経済的に破綻、ペレストロイカと東側全体の変革、運動、そして東ドイツ崩壊へという流れはまさに現代進行形で日本で同時代をいきてきた。
ライプチヒの月曜日のデモが東ドイツ政権におおきな打撃となったという点で、この都市はドイツの歴史にも大きな意味を持つ町でしょうね。

博物館をでて、スーパーによって、部屋にもどって、さっそくワインで乾杯。そのあと、しばしゆっくりして夜、韓国料理屋へ。そこで家具職人見習いのSさんも同席。飲みながら韓国焼肉くいながら色々語り合う。

そして夜、もどって更に飲んで、就寝。

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ドレスデンの夕暮れ 日本食レストラン

夕方のドレスデンの町を観てまわった。



空爆でやけ落ちたが、最近復元された聖母教会。手前はなにかの発掘現場



川沿いの景色



日も暮れてきた



戦災を免れた、歴代の王様の絵の描かれた壁画



王宮の庭



東ドイツ時代のビルの壁画。労働者を称えるような感じのもの。

そして、お店などを軽くみてまわり、夕食はとあるホテルにはいってる日本料理屋。

で、軽く前情報をもらってはいたが
店主は、非常に愛想が悪かった。後で常連さんらしいひととは楽しそうに話してはいたが、入り口前でにぎっていて一見にたいしてとはいえあの態度はちょっといかがなもんかと思った。
料理は、前菜は非常によかったが、メインのかつどんは、うまくはあったが日本で食ってたのよりはおちた。マドリッドの侍で食べたトンカツのほうがうまかったな。値段はお手ごろだった。焼酎おゆわりも久々に飲んだ。食べたり飲んだりしたらすぐ下げられて、いかにも食べ終わったらでていってほしいという態度はちょっと極端ではあると思う。
店内にNHKが流れていた。ニュースは、道頓堀川からでてきたカーネルサンダース。日本は平和なんだなあと思った。一方ドイツでは乱射事件発生。

で、外は雨が降ってきた。バーでビールを軽く飲んで、もどってさらに少し飲んで就寝。

3月12日の朝、かえるさんはご出勤。ドレスデン中央駅でお別れして、9時前の電車で、さらなる旅へ。

10時すぎについたその東ドイツの町とは。。。

続く

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マイセン

川沿いの町に到着
マイセン

マイセンってのは、陶磁器で有名な町。

というのをしったのは、実はドレスデンのかえるさんの部屋でである。

ショートトリップにちょうどいいし、工場の工程の見学もできるとのこと。



まずは、川の向こうの城へ。

この地域、ザクセン王国のお城だそうです。館内は写真代別だったので写真とらず。壁の絵をせっせと業者さんが直していた。直ったところはなんか現代風になってたようにおもうが。

マイセンの陶磁器製作の歴史は1710年に遡るが、最初にかかわっていた人は秘密保持のため城に幽閉されてたそうな。その小さな展示もあり。

で、横の教会へ。プロテスタントらしい、簡素なものだった。





教会の横のレストランでお食事あんどビール。
かえるさんはグヤーシュ、


僕はポテトとウインナーソーセージ。


お腹も満たされ、そこから歩いてマイセンの工場へ

途中の景色



で、工場。見学のお金をはらい、2時10分のツアーが始まるまで、売り場を見学。二ヶ所あり、1ヶ所はアウトレット。まあ、見事な食器がならんでた。アウトレットは日本語で「やや難あり、と書いてあったが、値段はちっともおちてない。刺身用の皿を買おうかとおもったら、1枚40ユーロ。あっさり断念。

アウトレットの写真


で、工程の説明ツアー。ろくろまわし、やきつけ、いろぬり、などの工程を4部屋で説明。日本語の音声ガイドをききながらまわる。

そのうちの一工程の写真


音声ガイドで、現在世界50社がうちの製品の模倣をつくってる、といってた。まあ、どの国がやりそうか想像できるが。


で、ツアーのあと、2階と3階にある、昔からの陶磁器の展示を見る。やまほど写真を撮ったが、一番面白いのを1枚。



で、敷設のcafeで、マイセンのコーヒーカップでコーヒーを楽しむ。

お城、教会、工場見学となかなか楽しいショートトリップだった。

駅に戻って、再びドレスデンへ。

続く

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