ライフ イン スウェーデン

スウェーデンでの日々の雑感、旅行記、サッカー観戦記、などなど。

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ヨーテボリ、フィギュアスケート世界選手権とオスロ旅行記の目次

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異業種格闘戦その3 

今月は、ドレスデンのかえるさん(とあるエネルギー分野の研究者)、ライプチヒのArivkaさん(とあるエネルギー関係企業戦士)との異業種格闘戦(=飲み会)がありましたが、先日は、古谷大輔先生との飲み会がありました。
「古谷大輔(歴史学・北欧史)のブログ」は僕のお気に入りにも入っており、いつもチェックしていたのですが、このたび、先生がスウェーデンに滞在されるということを知り、コンタクトをとって、今回の飲み会、という運びになりました。
で、ルンド大学の留学経験もお持ちで、現在は大阪大学で北欧史を研究されている先生のおはなしをビールを飲みながらきかせてもらいました。
僕は北欧の歴史に関しては初心者マークですが、スウェーデン、デンマーク、タリン、リガなどの旅行先では軍事歴史独立解放博物館などでその国の視点による自国の歴史をみたり、スウェーデン語の歴史教材のレポートを書くときにWikiなどで関連する史実や人物に関して調べたりはしてきたので、今回、専門家から日本語でいろいろ教えてもらえるということは非常に楽しみでした。また、僕が理系だからか、もしくは文系でスウェーデンで研究されている人と会う機会がすくないからか、いままでだいたい理系の人との交流ばかりだったので、それも楽しみのひとつでした。

で、待ち合わせ場所でご挨拶。バーにいって、まず、ビールを注文、乾杯。現在のスウェーデン社会に関しての話や、日本の話題などでビールとバッファローチキンがすすみました。そして、大学時代の話、専門を決めるにいたった経緯や、おたがいのスウェーデン観、東欧の話などを話したりしました。

スウェーデンはそもそも、他の国に戦争でよばれると喜んで参加してヨーロッパを転戦するような軍事国家だったんですよ。など、そのころの様子が映像として浮かんでくるような史実の解説をしてもらいました。そして、ライプチヒとその近郊のスウェーデン王がなくなった町の話しがでて、あの塔がまた頭に映像としてよみがえりました。また、スウェーデンの歴史や社会でいわば負の側面についても例を挙げて教えてもらいました。スウェーデンとの距離感が、まさに研究対象ということもあるかもしれませんが、いれこみすぎず、ニュートラルで好感をもちました。いくらか疑問に思っていた点も教えてもらいました。ゼミの学生に関する話では、留学や就職に関しても非常に親身に考えておられるな、と思いました。とちゅうでバンド演奏がはじまりうるさくなったので店をかえてもう一杯。すでに5杯目だったので、よっぱらって自分がしゃべったことはあまり覚えてないのですが、あっというまに夜もふけておひらきになりました。

今度は僕の飲み仲間などともいっしょにまた飲みつつお話したいな、とおもいました。

異業種格闘戦はこれからも続けていきたいと思っております。挑戦者も常時募集中。決戦場は、お酒が飲めるところならどこででも。

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再びベルリンへ

3月14日土曜日、朝ゆっくり起きて、またArvikaさんのつくった朝食をがつがつと食べる。

やっぱ、ごはんとみそしる、朝はこれではじまるよね。日本人としては。
前回のニッチな国歴訪では、ホテルなんぞに泊まったので、ホテルの朝食。
しかし、2回目で飽き飽きしたよ。

Arvikaさんとは今回ゆっくり楽しくお話させていただいた。
さすがはヨーロッパへの先駆者、スウェーデン社会への鋭い指摘は、いつものことながら的を得ている。こればっかりは、「じっさいスウェーデンで働いて、他の労働者の働き具合をみた」ものでないと語れない部分だと思います。
ちなみに、Arvikaさん推薦のこちらのブログもあわせて、スウェーデンで働けば見えてくるものがあるといっていいでしょう。

スウェーデンの労働者保護はすばらしいと思います。しかしながら、保護しすぎて企業自体の負担が増えて、それが製品の値段や品質に影響することは必至であり、そういう意味で、スウェーデンの企業の国際競争力は日本やドイツ、アメリカにはかなわないだろうと思っております。

この国、ありときりぎりす、の、きりぎりすしかいないのに何故こんなに豊かなのか???とこの国に来てからずっと思っておりましたが、まあ、ここ数年でどうなるか見守って行きたいと思います。

ただ、だからこそ僕をふくめた、言葉が不自由な、ありとして働くべきものも入り込めるわけなんですけどね。

朝、駅に送ってもらい、再会を約束して、電車へ。そして昼くらいにまたベルリンへ。
ホステルに荷物をおいて、町へ。

今日は、壁博物館へいった。ベルリンの東西分断に関する多量の資料や写真をみることができる。
その博物館の前の道にも、壁に写真が貼ってあり、当時の状況を知ることができる。

しばらく歩いたらそこには残されたベルリンの壁もある。

それは、東側、の崩壊のモニュメントとして意味があるだろう。どんなに優秀な国民がいても、政治体制がだめなら国が貧困と暴力と人権抑圧に苦しまなざるをえない、ということをまさに歴史が証明した。

あともうすこしたてば、板門店でも同じような博物館ができるだろう。何年後かわからないけど。

そうそう、僕は2006年にキプロスにいったんだけど、キプロスの首都は当時、真ん中で北と南に分断されていて、その境界領域は異様な雰囲気だった。いまはどうなってるんだろうね?

そこから町を散策して、適当に食べて寝た。

しかし、なんとホステルの一階がクラブ。そして土曜日。夜中4時まで大音量で大騒ぎ。

こんなにうるさい思いをした滞在はいままでになかった。いけばいいじゃないか、と思われるかもしれないが、入り口は人が並んで入場制限、警備員の二重のたちいりチェックがあった。というわけで、うるさいだけだった。安いということはこういうことですな。

そして、一気に最終日。3月15日 日曜日。
この日、ポツダムにいった。そう、ポツダム宣言のポツダム。
そのポツダムの会議が行われた宮殿にいって、その会議が行われた部屋もいった。
米英ソの当時の首脳の写真なども展示されていた。ソ連や英国の首脳の控え室なども見た。

当時の空気を感じるべく、そのテーブルに視線を凝らせて見た。

ドイツの処理の問題。ポーランドを西に移動させる、という、ドイツにしてはひどいことも話し合われた、ことなども音声ガイドで流れていた。

ほとんど説明もされなかったが、日本のあの昭和20年8月もこの会議の延長線上にある。

僕は以前、サイパン旅行にいったときに、日本に原子爆弾をおとしたB29が舞い上がった滑走路跡を訪れたことがある。あつい日だった。きっと昭和20年の8月のテニアン島も暑かったのだろう。目を閉じると銀色の翼をひろげて広島に向かって飛び立つ飛行機をまぶたのうらに見えた。

ポツダム会談、原爆投下、そして敗戦。
そしてそこから日本が立ち上がったこそ、いま自分がこのドイツにいるわけである。

ポツダムには宮殿もあり、そこも見学した。そしてベルリンにもどり、Zoo駅から100番というバスにのった。これが観光バスといっていいナイスなコースをとり、テレビ塔の下へ。

まずははらへってしゃーないので、KFCでくって、テレビ塔へ。これ、東の塔だってしったのはほんの数日前。
ガラスが汚れていたのでいまいちだったが、やはり高いところは気分がいい。360度みわたして、ベルリンにさよなら。

夕方、空港へ。そしてあっというまにアーランダへ。氷点下の国、こんばんわ。

東ドイツを巡る旅、かえるさんとArvikaさんのおかげで楽しい滞在の日々を送ることができました。本当にありがとうございました。感謝の言葉で今回の旅日記を終了ししたいと思います。

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塔の上から、サウナのヘリコプター

3月13日金曜
Arvikaさんの作ってくれた朝食をたらふく食べて、車で出発

諸国民の戦いの記念碑へ。
昔ナポレオンの軍隊と、ドイツ、ロシア、スウェーデンなどの連合軍の大きな戦い、ライプチヒの戦いというのがあり、そこでナポレオンを打ち負かした記念の塔。
で、この戦いの連合軍の総司令官(そもそもフランス人)が、その後、スウェーデン国王となり、その血統が現在のスウェーデンの国王まで続いているということで、スウェーデンともなじみがある場所といってもいいでしょう。
で、塔は、でかくて非常にグロテスクな外観です。


内部、こんなかんじ


で、エレベーター、階段で屋上へ
そこからの景色。ライプチヒが一望できます。高いところは好きなので楽しめました。


で、この日の午後はこの後、「ザクセンテルメ」というサウナにつれていってもらいました。
また混浴だったのですが、3回目ともなればもうなれたもの。
で、定時にサウナの石のうえに水着のお姉さん(従業員)が水をまいて、タオルをヘリコプターのようにまわし熱い蒸気をみんなにおくる、というのがみんなの楽しみみたいなのですが、屋外の小屋に、ざっと50人近くがすし詰めってかんじでそれを楽しんでいたのはなかなか不思議な光景でした。
で、3,4,5時のそのヘリコプターを体験して満足して退場。

昼飯ぬいてたので、空腹で、5時台でしたがケバブ屋でケバブとビールを食べました。
スウェーデンのケバブ屋ではビールはライトビールだけなので、やはり普通のビールじゃないとな、と思いましたよ。トルコ人のつくるケバブは美味でした。

で、Arvikaさんの部屋にもどり、またワインなどを楽しんで、ライプチヒ二日目も終了。

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ライプチヒ到着

田舎ののどかな風景をかるくみつつ、国盗り物語3を読みつつ、10時15分、目的地へ。
巨大な駅。そして、コードネームArvikaさんとかなみなみさんとか名乗っているその友人と久々に再会。
彼は、このブログでもコメントしてくれているが、そもそもはMixiで知り合った。彼は日本、ドイツで数年の勤務の後、スウェーデンの僻地、Arvikaという町で勤務していた。ストックホルムにご両親と訪問されたときにそのタイミングで、日本料理屋Naganoで日本人を集めて歓迎会ならびにオフカイならびに飲み会、となったのはたしか2006年か?
で、その後スウェーデンの永住ビザを軽くゲットするもあっさり職場を変えドイツに移住してしまった。他世界各地を仕事で回っており、日本とドイツとスウェーデンの社会、労働環境などについて世界的視野で語ることのできる貴重な男である。
去年は僕の町で研修があったときに夜、彼の滞在するホテルのバーでワインをおごってもらった。これが非常にうまかった。
で、今回おあいするのは3回目となるが、ネットやスカイプ、電話でのやりとりはけっこうあるのでそんなかんじはあまりしない。

で、Arvikaさんの車でまず荷物をかれの部屋に下ろして、町へ。

まずは、この町でもっとも有名な場所へ。

そして、もっとも有名な男の像。


そう、バッハである。彼が演奏していた教会へ。そこには彼のお墓もあった。



そこにはいつもお花が絶えない。今日しか知らないのだがたぶんそうだろう。

そしてそこからあるいて、Stasi博物館へ
Stasiとは旧東ドイツの国家保安庁(秘密警察、諜報機関)

東側の国には欠かせない、相互監視、密告、盗聴、盗撮、身柄捕獲なんでもありの国体維持に必須の庁であることは間違いない。

で、展示品の一部の写真がコレ。
まずは制服


尾行張り込みアイテム、変装グッズ


冷戦時代の東側陣営、ワルシャワ条約機構


他にも、手紙をかってにあけて読んでまた糊付けするための機会や、盗撮用グッズ、東西統一でやばい書類をせっせとつぶしたシュレッダー、監獄なども展示されていた。旧東側のそういった側面をみるにはいい場所である。

ハンガリー、ブダペストにも、テラー博物館というにた趣旨の博物館がありおすすめである。

そして、いい時間になったので、イタリア料理屋でパスタとビールとコーヒーでひといきつく。外は雨脚が強くなってきた。

続いて東ドイツの歴史や生活を展示する博物館。写真撮影禁止。

戦争の展示から分断時の人々の生活、そして東から西への亡命にかんする映像などもあった。手製の動力付グライダーみたいなので逃げた人の空からの映像や、トンネルをほったひと、命がけでベルリンの川を泳いだ人の映像などなど。

しかし、60-70年代の展示をみてみると、けっこう豊かというかいい時代も東にはあったようにもおもう。そのあと、経済的に西にどんどん差をつけられて経済的に破綻、ペレストロイカと東側全体の変革、運動、そして東ドイツ崩壊へという流れはまさに現代進行形で日本で同時代をいきてきた。
ライプチヒの月曜日のデモが東ドイツ政権におおきな打撃となったという点で、この都市はドイツの歴史にも大きな意味を持つ町でしょうね。

博物館をでて、スーパーによって、部屋にもどって、さっそくワインで乾杯。そのあと、しばしゆっくりして夜、韓国料理屋へ。そこで家具職人見習いのSさんも同席。飲みながら韓国焼肉くいながら色々語り合う。

そして夜、もどって更に飲んで、就寝。

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WBC優勝!

野球のニュースなど1秒たりとも放送されないスウェーデン
WBCに関しても報道0
なので、MLB.COMと日本のネットで情報をみてきた。
今朝、起きて、どきどきしながらネットひらいて、日本の勝利をしった。
昨日のアメリカへの勝利で、今日の勝利も確信していたが、やはり緊張したよ。
で、試合も延長戦までもつれこんだのなら、大接戦だったわけだね。
決めたのはイチロー。それもうれしい。
勝利を手にした侍ジャパンおめでとう!
気分のいい朝を迎えました。
2年前もネットで福留のHRを知った時にはひとり涙がでました。
去年の北京のときは最悪だったけど。
4年前の今日は僕がこの国に初上陸した日。いい気分で一日がスタートです。

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ドレスデンの夕暮れ 日本食レストラン

夕方のドレスデンの町を観てまわった。



空爆でやけ落ちたが、最近復元された聖母教会。手前はなにかの発掘現場



川沿いの景色



日も暮れてきた



戦災を免れた、歴代の王様の絵の描かれた壁画



王宮の庭



東ドイツ時代のビルの壁画。労働者を称えるような感じのもの。

そして、お店などを軽くみてまわり、夕食はとあるホテルにはいってる日本料理屋。

で、軽く前情報をもらってはいたが
店主は、非常に愛想が悪かった。後で常連さんらしいひととは楽しそうに話してはいたが、入り口前でにぎっていて一見にたいしてとはいえあの態度はちょっといかがなもんかと思った。
料理は、前菜は非常によかったが、メインのかつどんは、うまくはあったが日本で食ってたのよりはおちた。マドリッドの侍で食べたトンカツのほうがうまかったな。値段はお手ごろだった。焼酎おゆわりも久々に飲んだ。食べたり飲んだりしたらすぐ下げられて、いかにも食べ終わったらでていってほしいという態度はちょっと極端ではあると思う。
店内にNHKが流れていた。ニュースは、道頓堀川からでてきたカーネルサンダース。日本は平和なんだなあと思った。一方ドイツでは乱射事件発生。

で、外は雨が降ってきた。バーでビールを軽く飲んで、もどってさらに少し飲んで就寝。

3月12日の朝、かえるさんはご出勤。ドレスデン中央駅でお別れして、9時前の電車で、さらなる旅へ。

10時すぎについたその東ドイツの町とは。。。

続く

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マイセン

川沿いの町に到着
マイセン

マイセンってのは、陶磁器で有名な町。

というのをしったのは、実はドレスデンのかえるさんの部屋でである。

ショートトリップにちょうどいいし、工場の工程の見学もできるとのこと。



まずは、川の向こうの城へ。

この地域、ザクセン王国のお城だそうです。館内は写真代別だったので写真とらず。壁の絵をせっせと業者さんが直していた。直ったところはなんか現代風になってたようにおもうが。

マイセンの陶磁器製作の歴史は1710年に遡るが、最初にかかわっていた人は秘密保持のため城に幽閉されてたそうな。その小さな展示もあり。

で、横の教会へ。プロテスタントらしい、簡素なものだった。





教会の横のレストランでお食事あんどビール。
かえるさんはグヤーシュ、


僕はポテトとウインナーソーセージ。


お腹も満たされ、そこから歩いてマイセンの工場へ

途中の景色



で、工場。見学のお金をはらい、2時10分のツアーが始まるまで、売り場を見学。二ヶ所あり、1ヶ所はアウトレット。まあ、見事な食器がならんでた。アウトレットは日本語で「やや難あり、と書いてあったが、値段はちっともおちてない。刺身用の皿を買おうかとおもったら、1枚40ユーロ。あっさり断念。

アウトレットの写真


で、工程の説明ツアー。ろくろまわし、やきつけ、いろぬり、などの工程を4部屋で説明。日本語の音声ガイドをききながらまわる。

そのうちの一工程の写真


音声ガイドで、現在世界50社がうちの製品の模倣をつくってる、といってた。まあ、どの国がやりそうか想像できるが。


で、ツアーのあと、2階と3階にある、昔からの陶磁器の展示を見る。やまほど写真を撮ったが、一番面白いのを1枚。



で、敷設のcafeで、マイセンのコーヒーカップでコーヒーを楽しむ。

お城、教会、工場見学となかなか楽しいショートトリップだった。

駅に戻って、再びドレスデンへ。

続く

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第二目的地 ドレスデン

3時前にベルリンをでて、5時前に、ドイツとチェコの国境に近い町についた。

ドレスデン

僕のドレスデンに関して知っていることといえば、第二次世界大戦で激しい空爆を受けた町、ということだけだ。

そんな町を訪れた理由は、スウェーデンからフランス、そして現在はこのドレスデンで働いている友人が住んでいるからである。
その、コードネームかえるさんとは、彼がスウェーデンにいたときにはレストラン、バーなどで飲みつつ食べつついろいろなお話をした。知らない分野のいろいろおもしろい話をきかせてもらってきた。僕とはちがい冷静沈着タイプの人である。去年の夏はたまたまおなじ時期にパリにいたので、いっしょにラーメンを食べる機会もあった。今回の機会は東ドイツの町そして彼を訪問するのに絶好の機会でもあったので、連絡を取り、2泊させていただくということになった。

で、駅で再会。まずは市内電車でかえるさんのアパートに荷物を置かせてもらい、町にふたたびくりだす。



夜の町
そして、レストランへ。ザクセン地方の料理をあじわいつつ、ビールを楽しんだ



かえるさんの部屋にもどって、さらにビールと日本のお菓子を楽しみ、昨日とは全く違う快適なベッドで寝た。

翌日、3月11日水曜日
僕のお願いで、とある町へのショートトリップ。
まずは市内電車で中央駅へ。そこから電車にのる。

この川沿いの景観は、世界遺産にも登録されている。電車の窓ごしの写真。天候は雨がふったりやんだりというかんじであった。



目的の町には1時間たらずで到着。

その町とは?その町が有名な理由とは??

続く

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科学館、森鴎外記念館

本館をでて、別館の科学館(Science Center Spectrum)にいきました。
さまざまな趣向で子供も大人も楽しめる展示となっておりました。



ガラス球体に手を当てると。。



ピンボケですが、光の屈折についての解説の展示



手前にぶらさがっている白い逆三角形の影が、後ろに写ってるように、3色となっております。

で、その光源が、


となっております。昔、志賀高原のナイトスキーで、同じ光源があって、自分の影もこのようになっていたのを思いだしました。

科学の歴史も、たとえばキュリー夫婦の写真入りの説明などもあり、子供たちがきちんと学習できるようになっておりました。

ほか、いろいろなものを使った楽器や、大きなブランコや、化学だけでなく物理も体験できるようになっておりました。

こんなのもありました。

部屋にはいると(あなたは見られている)とかいてあり



自分のシルエットが

そして、体温を感知するセンサーでは、このとおり



ちょっとお恥ずかしいのでひかえめな大きさで表示させてもらっております。

などなど、しっかり楽しみ、退場。

惜しむらくは、隣接しているクラシックカー展示場がなぜか現在閉鎖されていること。それをみることができたらさいこーだったのですけどね。

この後、電車でポツダム広場に移動。新しいビルが立ち並ぶ場所。そもそも東と西の境界だったから再開発となった場所です。

つづいて、森鴎外記念館へ。

2時までしかやってなくて、20分前にたどりつく。

日本人の方に「写真とっていいですか?」ときいたら、自分が楽しむぶんにはいいです、とのことなので非公開とさせていただきました。いろいろ話もききたかったのですが、時間もなく、写真をばしばしとって終了。昔、森鴎外がベルリン留学していたときに住んでいた場所だそうで、部屋の再現もありました。当時のベルリンの写真、彼の写真、自筆の手紙、彼に関する書物がある併設の図書館などもあり、彼に興味があったりおもいいれがある人むけ。3ユーロ。

で、ホステルに戻って、荷物とって、ベルリン中央駅へ。キングバーガーでセット買って電車に持ち込み、いざ、移動。

その先にある、町は、、?

続く



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ドイツ技術博物館

では技術博物館での写真を一挙公開



見学する子供達.電話の展示



蒸気機関車



面白い形の電車



ナチスが使ったと思われる列車
アフリカの植民地で走らせていた機関車も展示されてました。



昔のカメラの展示
他、ラジオ、映画関係の歴史的な展示もありました。



ぬいぐるみ製作現場の再現
ほかにも貴金属バッグなどなどの製作現場も再現されてました。
別の建物はビール工場の再現。



船の展示もいろいろありました。



飛行機の展示。この飛行機(アメリカの飛行機)は外に展示されてます。西ベルリンに物資を輸送したベルリンの歴史でも重要な機です。



昔のドイツ機



飛行機の残骸の一部

ほかにも、ロンドンを襲ったロケットに関する展示、第一次世界大戦の後ベルサイユ条約で理不尽にも空港の整備など制限されたこと、政府は秘密裏に整備してたこと、ドイツUボート(潜水艦)大活躍の記録映画などもありました。

この建物以外にも、科学館があり、そちらにも行きました。
続く

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シャルロッテンブルグ宮殿

地下鉄に乗って、シャルロッテンブルグ宮殿へいった。
地球の歩き方によると、初代プロイセン王妃、ゾフィー シャルロッテの別荘で、フリードリヒ1世と王妃の部屋などがあるそうだ。
しかし、工事か何かでしまってた。しばし呆然



気を取り直して、地下鉄にのって、今度は、ドイツ技術博物館というところに向かった。僕が持ってるヨーロッパ編地球の歩き方では、解説すらない、が、ぼくはこういう博物館がすきで、ウィーンでもいったことがある。こどもの遠足みたいな集団が多くいるのが特徴で、子供の気分に戻ることが出来るのがいい。

はいってみるとやはり子供だらけだった。
ドイツ語で話しかけられたりもした。英語でよろしく、といったら、いまなんじ?だった。
で、展示は様々な産業についての説明、科学技術の発展の歴史などの展示。
そして、なによりも、電車機関車船飛行機などの展示がてんこもりだった。

それらの写真はつぎの日記にて。

続く

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他人のボーナスや年金についての記事

毎日目を通しているネットの新聞で、www.dn.seがあるが、DNはこちらではクオリティペーパーと呼ばれている新聞である。
昨日のトップ記事が、ジャンルが経済で、ある会社のお偉いさんが、これだけのボーナスをゲットする、というものだった。
ほかにも、こちらの会社のお偉いさんの年金がいくらだとか、そういう記事をしょっちゅうめにする。その会社は年金の金を運用している会社で、大きな損失があり、その会社に年金を託していた人たちがけっこういたいめにあったとか、彼らはうまいことくぐりぬけたとかいろいろ問題はあるみたいではある。
が、こういう記事は、どう考えても日本よりも多い。

人の年金とボーナスが気になって気になって仕方ないのはマスコミなのか、そういう国民のニーズに合わせた記事なのか?

ええやん。ひとがいくらもらおうが、と僕は思うのだが。なんで一企業の社員のボーナスが経済トップニュースなのかさっぱりわからない。

こういう記事を読むと、この国は、全ての国民が同じだけの収入、ボーナス、年金をもらうことが理想とでもかんがえているのだろうか?と思ってしまう。

あと、こっちではさまざまな統計のサイトがあるが、みてみると、男女の収入に格差がある、てのがやはりでてくる。男女の機会均等と、収入の格差是正がこの国の国是みたいなので、まあ、がんばってほしい。

他の記事では、EUの集まりで、ヨーロッパのハンガリーやバルト3国、ルーマニアなどが経済的にやばいので、救済が必要だ、みたいなのがあったが、やはり、EUという集合体も、いいことばかりではなく、貧乏な参加国への援助ってのは避けて通れないのだろう。だから、スイスとノルウェーは入ってないよね。そもそもスウェーデンも他の国の援助する余裕があるとはおもえないんだけどねえ。失業率は統計のサイトでみたところ8%だそうで。

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ドイツ歴史博物館

ブランデンブルグ門からまたウンターデンリンデン通りを戻って、フンボルト大学の前を通り、ドイツ歴史博物館へ。

ドイツの歴史をうまく時代ごとにまとめているという印象だった。
重要な人物としては、宗教改革のルター、そして、富国強兵を推し進めてドイツ帝国を発展させたビスマルクが詳しく説明されていた。
そして、フランス人ながら、ヨーロッパの歴史では重要な人物、ナポレオンにも大きなスペースがとられてあった。
科学技術の発展なども写真とともに展示がなされてあり、昔の街並みなどの映像を楽しめた。
そして、第一次、第二次世界大戦、ナチス、敗北、そして東西分裂、再統合なども展示されており、時間がなかったので後半はやや早足ながら、記録映画もあり、なかなか充実した展示をみることができた。その一部の写真が下。





ちなみに、同盟国日本に関しての展示もあったが、量も質もたいしたことはなく、非常に不愉快な文章もあった。日本の博物館関係者でこういう展示に対して意見ができる人は意見してきて欲しいと思った。

で、夕方でて、町をあるいて安いドラッグストア系の店でお菓子やコーラなどをかい、街でまたカレーブルストとビールでお腹を満たしてホステルに戻って寝不足だったので早めに寝た。

8人タコ部屋、夜中の4時くらいに酔っ払いが帰って来て、他のやつが文句をいって騒いで起こされた。ま、安宿ホステル、しゃあないのか。

で、3月10日火曜日の朝を迎えた。荷物まとめてチェックアウト。荷物を預けて、ベルリンの町へ。再び

続く


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ブランデンブルグ門へ


博物館から川沿いに歩く。川の向こうのベルリン大聖堂

ウンターデンリンデンに歩いて、そこで適当にレストランに入った。
しかし、メニューは持ってきたものの、ウェイトレスの数と客の数の割合いが悪くて、ウェイトレスがまったくメニューを取りに来ない。読んでも無視され、さらに、自分より後に来た2組のメニューを取ったのをみて、退場した。

空腹のまま、この旅で一番みたかったといっていい、ブランデンブルグ門へたどりついた。


第一印象は、「思ったより大きく、ない」

だった。パリとブリュッセルの凱旋門より明らかに小さい。

もちろん、ブランデンブルグ門には歴史的な意義があるからこそ見に来たわけであり、大きさは関係ないとはいえ、いままでみた写真や、おもっていた印象とは全く違ってた。

なんでだろうねえ?

で、写真とって、説明板みて、みまわしたら、スタンドがあった。カレーブルストとビールでやっとお腹もみたすことができた。

門をみながらの軽食
続く



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ペルガモン博物館

博物館の島では、ペルガモン博物館に入りました。
地球の歩き方にも一番のおすすめ、とのことですし。「ルーブル、大英博物館とならび称されるとまでかいてあったら、ルーブルも大英もプラドもいったことがあるワタクシはいかねばならんでしょう。
で、トルコのペルガモン遺跡(再現)、トルコのミトレスの市場(再現)、で、イラクのバビロン遺跡(再現)などがどどんと展示。



ペルガモンのゼウスの大祭壇



バビロニアの門

で、音声ガイドも、非常に細かい説明で、レリーフの神話についてねちねちと説明。ひとつひとつ聞いてたら、やはりすげえ疲れた。だんだん、なんでドイツで、トルコだのバビロンだのの遺跡を説明うけなければならんのや、という気持ちになってきた。トルコはスルタンの許しをえてとかいってたけどね。

で、3時間もいた。特別展ではアルカイックスマイルの像などもあった。



アルカイックスマイル。日本の仏像でもみられます。

1時過ぎに退場。へろへろで、町へ。飯が食えるところを探した。
続く

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さけの禁断症状

サケの禁断症状がでてきた。飲むのじゃなくて食べるほうであるが。
以前鮭をかって食べた日記、書いたけど、あの後、ドイツに行く前にもまた買って食った。その時はマグロもかったのだが、マグロは鮭の倍ちかい値段。で、満足度は鮭の方が高い、ていうか、禁断症状。昨日、買おうかとおもったらまさかの会議が長引いて遅くなり、今日購入。で、その足で、ICAにいって、グロートリス(そう、北欧人が牛乳と煮るコメだが、そのまま炊いてもけっこういける、というか、安いので代用)や、ポテチやカシューナッツや日本のあられなどかって、安売りしてる肉もかって、帰って焼肉と鮭の刺身とビールを楽しんだ。鮭が好きになったところは、スウェーデン人化の一歩かもしれない。
今日は気温も5-7度で、残雪も残り少ないと言う感じでした。
今日のネットのニュースみてたら、ミシュランガイドにのったスウェーデンのレストランを特集してた。いつかはいってみたいとはおもうが、ま、いつになるかは不明。

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ベルリン上陸

3月8日月曜日 
朝7時15分、アーランダ発、SASに乗り込む。
目的地は、ベルリン

ベルリン
あれから、20年、、

1989年11月9日、ベルリンの壁が崩壊したとされる日。(詳しくは、こちらWIKIを参照)

あれから20年、いつかはベルリンを歩きたいと思っていたが、結局果たせず今日、その地を踏むこととなった。
ソビエト連邦を中心とした共産主義の陣営(共産圏)は、現在では見事に崩壊している、が、少なくとも80年代半ばまでは、外から見る限りでは磐石であったように思う。ただ、経済的に西側に大きく差をつけられて、結局は敗北した。共産主義国家は、なぜか秘密警察や国民弾圧が必ずセットになっており、理想的な社会のはずが、歴史の中では失敗した政治体系だと言わざるを得ない。
で、20年たってしまったが、ソビエトの元衛星国であった東ドイツがどんな状況なのか、知りたいと思った。
ちなみに、この数年で、ハンガリーを皮切りに、チェコ、スロバキア、旧ユーゴ諸国、そしてブルガリアにルーマニアを回ってきた。バルト三国の2つもいってきた。後、旧東側で行ってない主な国は、ロシア、ポーランドそして東ドイツくらいとなっている。
で、ベルリン。旧西ベルリンのテーゲル空港に飛行機は降りて、バス、地下鉄をのりついで、フリードリヒ駅に結構近い、ホステルに荷物を置いた。安くて街中に近いというのが選んだポイント。
で、実はまともに下調べしてないので、今いる場所がもと西ベルリンなのか東なのかもわかってなかった。あとになってまじめに地球の歩き方を読んでやっとわかることになるのだが。
で、荷物を置いたのが10時。そこから歩いて川を渡って、とにかく、一番有名とされる、ペルガモン博物館へ向かった。
で、その一帯が、博物館の島と呼ばれていて、世界遺産にも登録されている。
その辺りの写真。テレビ塔が向こうに見える。なかなかな景色である。
続く。


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引越しパーティー

3月7日 土曜日

新しく赴任するボスの引越しパーティーがあり、出席した。新築のマンション。7時集合で、7時にいったら最初のゲストだった。そこでシャンパンで乾杯。
で、ぼちぼちと集まってきた。

スウェーデンではこんなあつまりのとき、一部屋一部屋見学します。もちろん寝室も。どの部屋の壁には様々な絵画が飾ってあり、びっくり。古い貴重なものもあるらしい。置物も充実。バスルームにはKyoto Royal Hotelのゆかたまであった。買ったのだろうか?それとも、、
まず、ボスの奥さんがつくった、ボスの趣味やいろいろなことをかき集めた4択問題をみんなで解く。その写真、ピンボケですが


そうやってどんなお人柄か紹介するということなんだろう。
で、その後、談笑のあとディナー。エビや鮭がやはり一番かな。ポテトサラダもよかった。

で、後はワインを楽しみ、コーヒー、ケーキ、お菓子を楽しんで談笑。


あっというまに11時まわってお開きとなりました。あんな広いところに住みたいナーなんて思いました。

ところで、某国の諜報部からの指令で、来週、東ドイツに飛ぶことになりました。
指令1、スウェーデンで研究していて東ドイツに出奔した日本人研究者を追跡
指令2、ドイツからやってきてスウェーデンで働いて永住ビザまで取ったのに、東ドイツに舞い戻った日本人技術者を追跡
どちらも、エネルギーに関する研究者、技術者で、たぶん世界征服をたくらむショッカーに連れ去られた疑いが高いわけです。

というのは冗談で、知人2人を尋ねて東ドイツ行ってきます。

また休みか!というつっこみ上等

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湖でスケート

3月1日日曜日

そのままそのアパートのNさんの子供部屋に泊めてもらって、朝食もいただき、そのあと、絵本を読んであげたり、折り紙を折ってあげたり。

で、そのあと、裏の湖でアイススケート。

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完全凍結した湖上を多くの人が散歩、スケートなど楽しんでる。僕もNさんのご好意により、スケート靴を貸していただき、スウェーデンで初めて、アイススケートそれも湖の上で楽しんだ。途中、乳母車をおしながら滑ったりと経験できないこともできた。写真のひとだかりは、氷上ホットドッグ屋台です。

で、湖に面したところに、昨日も一緒に飲んでたAさんの新居があり、そこにまさに文字通りしばらくお邪魔した。このAさんはまさに飲み友達で、昨夜もいつものように1人で酔いつぶれて寝るまで、飲んで独演会でした。で、この日もお客さんがくるそうで、たぶんまたしこたま飲んでたことでしょう。

で、また滑ってもどり、そのあと、帰宅。非常に楽しいストックホルムの週末でした。

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日本人会にて

2月28日土曜日。

午後、ふたつの日本人の集まりに顔を出した。
ひとつは、霞仙さんでの集まり。
大橋紀子さんとの付き合いは、2005年の6月からなので、長くなってきました。今回は、日本人の宿泊者2人と、こちら在住の日本人の方、5人の方とおはなし。1人の方は去年のヨーテボリでのフィギュア会場でもばったりお会いした方。(フィギュア観戦日記はこちら。あさだまいちゃんが優勝したあの大会です)目の前の湖は凍結していて、夏の景色もいいですが、今日もなかなかでした。

ひとつは、レストランナガノでの集まり。
18時どちらもスタートだったので、まず日本食材屋でラーメンかいだし。ナガノさんに荷物おかせてもらって、移動、霞仙で1530から2時間、お話などして、また移動。
オーナーのタテキさんとはこれまた数年の付き合いで、以前僕の部屋には、ナガノでいらなくなった、ぶたいっぴき入るとおもわれる業務用フリーザーや、バーカウンター用背の高い椅子がありました。日本の居酒屋的雰囲気でてごろな料金で食べられるのが魅力でした。最近は残念ながらランチだけですが、70クローネからの日替わりランチはおすすめ。ちなみに日本のマンガ(ビッグコミック系)がとりそろえられているので、それらをよみたい方もどうぞ。

で、18時からの日本人会の方は、ひたすらすき焼きくって飲んでお話。日本人のみなさん、20人以上集合。年2回の集まり。幹事さんお疲れです。

2次会は、日本人も多く住むアパートの一室で。野郎ども5人で、ワインやウオッカで朝430まで語り合う。つまみはポテチやフィンランドのかもしか肉団子など。なんか大学生に戻った気分でした。

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パリ 観光

2月27日、金曜日。チェックアウト、パリの国立近代美術館へ。パリには去年の夏もきたのですが、オルセーやルーブルにいったけど、ここはいってなかった。
ピカソ、ダリ、シャガールなどを楽しむ。

で、歩いて、

ラーメン屋 ちゃんぽんめんとぎょーざ

そうそう、前回の夏も今回もそうですが、夜の日本料理屋の前には行列ができております。パリのジモティの味覚をつかんでいるといってよいでしょう。

で、そのあと日本食材屋で梅酒などを買う。こちらも大繁盛。で、地下鉄乗って、ノートルダム寺院いって中を見学。ミサをやってた。



そのあとセーヌ川沿いの古本の屋台をひやかし、ホテル戻って荷物とって、地下鉄電車乗り継いで空港へ、

帰りも機内夕食くって、アーランダ。電車のりついで無事、夜24時くらいに帰宅しました。

パリーベルギー(ブリュッセル、ブルージェ、アントワープ)-ルクセンブルグーバーデンバーデンーストラスブールーとまわってパリに戻るこのツアー。ま、気温も5-8度程度だったし、この時期いいんではないでしょうか。

この旅で読んだ本は、国盗り物語、1、司馬遼太郎。斎藤道三が主人公の面白い作品です。

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ストラスブール 観光

2月26日、体調は7割くらいもどったか、朝ほてるの朝食とりあえずくって、町へくりだす。

ストラスブール、ドイツになったりフランスになったりで今はフランス。ドイツの文化が残っている町だそうだ。

旧市街。体調は徐々にもちなおしてきた。まちの外側から、あるいていって、メインの教会へ。
1230に死神が鐘をならすというイベントがある。わざわざお金を払ってみたが、わざわざお金を払う必要があるか悩ましいくらいしょぼかった。それをむこうもしってて、まず22分のねちねちとした時計ビデオを寒い中見ることになる。ま、からくり時計が好きな人ならいいんじゃないでしょうかね。


で、でて、飯食って、観光遊覧船のるひまなく、アルザス博物館へ。民芸品などの展示。
これは遊覧船


街はこじんまりとしていて悪くなかった、旧市街評論家のMQ2000の評価は、まあまあ、ってところか。駅舎をガラス張りのドームがぐるんとくるむデザインもおもしろくはあった。

そして、ホテルに戻り荷物とって、コーヒーかって、1615のTGVでパリへ。

パリ、1840くらい。地下鉄のって地下鉄駅の近くのホテルへチェックイン。
ここは悪くはない。

で、夜、いった場所は、

お好み焼き屋

で、そのあとスーパーで水とチョコとヤクルトかって帰る。まだ体調は万全でなく、このよるも若干しんどかった。自業自得もしくはデンマーク女性ののろいか。

続く

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バーデンバーデン 温泉はしご 

2月25日水曜日、ホテルの朝食くって、ホテルのなかのサウナにいった。10時からあくということだったのだが、10時ぴったりにいったら、あたたまるまで20分マテといわれて、リラクスルームでまつ。3種類の小さな部屋だったが、悪くなかった。
しかし、せっかくバーデンバーデンまできたら、フリードリヒ温泉にいかないではかえれない。チェックアウトして、いった。最初は男性女性にわかれていたが、最後のコーナーで混浴。それもドームの下は28度の温水プール。他にも32度36度の風呂もあったが、丸いプールで泳ぎまくった。

すぽんぽんでおよぐ、というのはなかなか楽しいものである。ちょっとまえ、デンマークの女性らが、『公共プールでトップレスで泳いでいいではないか!」と主張していたが、ぼくはこいつら頭おかしいのか?と思っていたが、彼女たちの気持ちがやっとわかった。デンマーク女性ばんざい!

楽しく、泳がせていただきました。

しかし、これが悪かった。

温泉をでたあたりから体調が崩れていった。全身のだるさ、とくに、足と腰。熱っぽい。ま、はしゃぎすぎたってわけだ。デンマークのあの女性たちのせいである。

とりあえず、食事(すしと魚スープ)をとって、電車のりついで、ストラスブールへ。
で、駅前のいいホテルだったのだが、チェックイン即死亡。次の朝までやりばのない体のだるさと足から腰にかけての痛み、腹の不調とさんざんだった。ずっとベッド上。
ま、自業自得なんだけどね。
というわけで、夜のストラスブールは全く観光ナシ。

次の日は体調は戻っているのか??

続く。

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ルクセンブルグ 観光

今回の旅、ベネルクスツアーにしようかとも思ったが、アムステルダムにはいったことがあるので、ほかの町に行くことにした。で、行く先は、東隣の国、ルクセンブルグ。

神奈川県サイズの国なんですよ。

で、8時だいに到着。かしぱんとコーラだけで空腹。

駅前のホテル、チェックインをすまして、フロントのお姉さんにおすすめレストランをきいて、そこへ。駅の近くの、キャバレーが数件ならんでたそのとなり。

ビールと、ムール貝のパスタを楽しんだ。ムースのデザートまで。

で、ホテルの一階で現地の新聞ドイツ語を読みつつ、現地ビールを1本飲んで、ネタ。

2月24日火曜日。

朝おきて、ホテル朝食。チェックアウトして、あるいて町をあるく。
小さい町で、あっちゅうまに観光しおわるとは聞いていた。




世界遺産のとりで


景色


で、教会、博物館ぷらす美術館、そしてとりでなどを見学したらもう昼前。

ルクセンブルグに来ました、ということができること、に、意義がある。川沿いの景色はけっこうよかったけどね。

ホテルに戻り荷物とって、サンドイッチとコーヒーかって調べていた電車1235発に乗って、いざ、
バーデンバーデン、へ。

バーデンバーデンには夕方着。けっこうましなホテルを選んだ。
で、そこからカラカラテルメ。当日の日記はこちら
露天風呂の楽しさと、混浴サウナを楽しめる人は楽しめる場所であった。

サッカー、バーで見た。4試合を7-8分おきくらいに放送するという、悲惨なもので、どれもおちついてみることはできなかった。インテル対マンUの試合が一番興味があったのだが、それも記憶にないくらい。
そうそう、パクチソンはゴール前、おしいシーンがあったよね。

で、帰宅。寝る。

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オートワールド ブリュッセル

2月23日月曜日午後、曇り時々雨
ブリュッセルへもどる。アントワープ駅構内で買ったスープとホットドッグを電車のなかで食す。安くもおいしくもない。

ブリュッセルに戻り、地下鉄に乗って、サンカントネール公園へ

凱旋門


王立軍事歴史博物館へ。しかし、月曜日でしまってた。

外の窓から撮った写真。スウェーデンの戦闘機があった。

黄色と青のマークが目印よ。

ガイドをきちんと読んでなかった。

しかし、となりの、クラシックカーの展示会場、オートワールドはあいてた。
車好きの僕としては、最高である。展示会がどれくらい好きかというと、こちらに日本のモーターショー参加のときの日記があるので参照。ま、そちらでは車の写真は主役ではないのだが。。

まずは、ふるーいクラシックカー






実家の自分の部屋の壁紙のデザインが、こんな感じのクラシックカーだったので、なつかしい。



この車は、BMWです。あの豚鼻のラジエーターグリルデザインには歴史があるてわけです。
ほかにもアメリカの車、イギリスの車、フランスの車などなど、すでに会社もなくなった車もあった。自動車業界も再編成再編成の時代があったわけです。

で、これ



時代はかわり、1965年のサーブである。
サーブは航空機をつくっていた技術を応用した先進性があったり、ターボを普及させたという功績もあります。

そして、2009年、非常に未来が暗い状態。

余談ですが、今回の旅で、サーブとボルボがどれくらい走っているのか、全ての街ではしってる、とまってる車をつぶさに観察しました。

結果。サーブは一週間でトータル10台もみませんでした。ボルボはちょっと多いくらい。
フランス、ベルギー、ルクセンブルグ、ドイツにおけるシェアは、5%以下(1-3%)でしょうね。

というわけで、60年かけてこのシェアなんだから、次の車がいかにいい車だろうが、つぶれかけの会社の車、というブランドイメージも合体して、たぶん、売れないでしょう。
大臣のいうとおり、他のものを作る準備をしたほうがいいと思いました。

サーブよりもっともっと走ってるオペル(これもGMから切られそう)ですら危ないわけですからね。



日本車は、このホンダと、あと、プリウスと誰かがアートにデザインしたハイラックスが展示されてました。



これは僕のお気に入りのシトロエン、時代をぶっとんだデザインがいい。最近のシトロエンはとんがってないので、もっととんがってほしい。

後ろにはサーブの看板がありますが。



2階からの景色。目の前には、輝くスウェーデンの旗。



男の子が喜ぶ場所であることはまちがいなし。(ま、東京モーターショーのほうが別の意味ではたのしかたのではあるが)

で、退場。歩いて国連施設の前を通って、地下鉄に乗って、昨日は中に入れなかったノートルダム聖堂に入る。

で、夕方、ホットサンドイッチとかしぱん、ジュースを買って、電車に飛び乗った。

で、袋をあけると、暖めたホットサンドを、おばちゃん、袋にいれわすれやがった。。あぜんとするも時既に遅し。

で、電車が向かう先は。ルクセンブルグ

続く

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アントワープ大聖堂へ

2月23日月曜日

朝チェックアウトして、ブリュッセル中央駅へ。
そして、コーヒーとパンをかって飛び乗った電車の向かう先は

アントワープ

それも、アントワープの大聖堂だけを見に行った。時間の関係で。

電車がついて、駅から地下鉄、降りたところですでに大聖堂がみえる。

アントワープの大聖堂の見所は、ルーベンスの絵である。

そして、この大聖堂のルーベンスの絵を誰よりも見たいと思っていた少年がいた。

ネロである。





そう、フランダースの犬の、アニメーション史上もっとも有名な悲劇的なあのラストシーンの場所である。

しかし、白状しよう。

フランダースのラストシーンは、僕の記憶には、実は残っていない。

僕の心の順位は、一番、マルコ、二番、ハイジ、三番、ラスカル、なのである。ネロとパトラッシュは残念ながら4番目である。

オープニングの歌も、マルコとハイジは心に残っているのではあるが、フランダースは、印象がやや薄い。

(実は、大聖堂でとあるDVDをかって、オープニングやあのラストシーンを昨日みた。さびに現地の言葉つかってるんだから歌えるわけないだろうが)

それはさておき、大聖堂



入り口からの写真。

みどころは、ルーベンスの絵もあるが、服をきた木製のマリア像もみどころである。

11時から、ガイドツアー。英語で、みっちり1時間、内部の作りや絵やいろいろ濃密に説明してもらった。これはすばらしかった。





で、最期にまたあのルーベンスの絵の前にいった。
アニメはさておき、キリストの降架の絵は、心を打つなにかがある。
そして、個人的には、キリストの復活の躍動感あふれる絵も好きだ。

たっぷり、楽しんだ。お土産に、「フランダースの犬、パトラッシュ」という、ベルギーで製作されたドキュメント映画のDVDを買った。

なぜ、ベルギーで全く知られていなかった小説「フランダースの犬」が、アメリカで映画化されたり、日本でアニメ化されたりしたのか。アメリカ版はハッピーエンドらしい。で、日本版のラストシーンにかかわる製作者のエピソードもあった。
で、あのシーンを、昨日、何年かぶりにみたってわけ。

それらにかんしての考察もあった。

他のエピソードとしては、あのタイプの犬はあの時代にアントワープにいたものとはちがう、とか
ベルギー人としておもしろくないのは、あの作品の景色はオランダそのものだから、というのもあるそうです。現実のフランダース地方とあのアニメ作品のなかでの景色はまったくことなるものだそうで。


それはそれとして、ベルギーも日本人観光客の期待にそえるようなかなか努力をしているよにもおもいました、が、たとえば日本人のためにつくったようなネロとパトラッシュの銅像はあまりに貧相すぎて
日本人のウケがよろしくない。

で、日本人は、木の皿でのむスープにご執心だが、あの時代、貧しい人たちでも陶器の皿をつかっていたし、あの彼らが食べているようなスープはお金持ちしか食べることはできなかった、みたいなエピソードまでありました。

などなどほかにもいろいろエピソードがあり、なかなかおもしろいDVDなので、興味があるひとはネットで買えるそうなのでどうぞ。

教会前の、トヨタ提供の記念碑は、ぶっ壊れていた。

隣町の像などみる暇もなく、1時の電車でブリュッセルに帰った。

続く

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ブリュッセル観光

まさに駆け足で、美術館を終了時刻まで歩き回った。

みどころは、ルーベンスかな。


ルーベンスとはウィキによると
「ピーテル・パウル・ルーベンス(Pieter Paul Rubens, 1577年6月28日 - 1640年5月30日)は、バロック期のフランドルの画家及び外交官。」
です。この旅の重要人物となります。


そとで、車で売ってるワッフルがあったので、買って食べた。

感想。日本の駅でうってるワッフルのほうが、屋台のたこ焼きのほうがうまかった、といってはなんの面白みもないのであるが、ま、とりあえず、ブリュッセルでワッフルをほふほふ食べた、ということが重要。

で、歩いて王宮のまわりを巡り、そこからノートルダム寺院へ。



コレ写真。めのまえにいた別のワッフル号



で、この後、コンビニエンスストアーで水かって、歩いて市街へ。

で、そこで、ブリュッセルで最も有名なあの方とご対面。



はい、本家本元そんべん小僧でこざいます。


で、この後、地球の歩き方に乗ってあるレストランで、ムール貝料理とビールを楽しむ。

そして、疲れもあり、ホテルに帰って風呂はいって早々に寝た。

そして、月曜日。この旅のいきなりメインイベントである。

日本人の心のふるさとに、あの場所にたどりつく。

ヒント: パトラッシュ、、なんだか眠くなってきたよ。。

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ベルギー ブルージュへ

今回の旅のテーマは
とりあえず、いったことがないところにいこう。
裏を返せば
夏などのいいときにはたぶんいかないところに行こう。
というわけで、パリから電車に乗った向こうは
ベルギー ブリュッセル

ベルギーの印象とは?
ベルギービール
ワッフルワッフル
2002年ワールドカップ予選

終わりである。あとは、ガキのころに、ベネルクス3国、なんて言葉を世界地理でならった。そこである。いままでいったことがない、これから夏に行くとは思えないから、ここに照準を定めた。
で、パリから近いし、タリスというベルギーとパリを結ぶ電車が予約すると安い。
なんと28ユーロ

というわけで、朝7時前に電車に乗って、8時30分くらいにブリュセルに到着。

そしてすぐさまチケットをかって、乗り換える。

むかった場所は、、、

ブルージュ

コレを知っていたら、あなたはベルギー通。
ちっとも知らなかったが、なにやら、地球の歩き方によると、えーかんじのところらしい。

というわけで、電車でブリュッセルから1時間で、着きました。ブルージュ。

これらが町の写真。

けっこう、ええ感じのオールドタウン。

実は僕は、旧市街評論家、を名乗っている。ストックホルムのガムラスタン、ゴットランドのビスビーをはじめとして、中欧(ブダペスト、ブカレスト、ソフィア、ウィーン、プラハ)イタリア(ベネチア、フィレンチェ、ミラノ)クロアチア(ザグレブ、ドブロブニク)などを歴訪して増長してるだけであるが。


で、ブルージュ。なかなか町自体も気合いを入れて昔の雰囲気を残そうという努力をしていた。すなわちそれで観光で食っていく気合い、ってわけだが。

塔の前の広場などなかなかよかった。ここでベルギー名物、フレンチポテトをマヨとともに食した。これ、やっぱ、うまいよね。

塔に上りました。そこからの景色。


ほか、風車など町の景色。




曇りというか、降ったりやんだりの天候は残念でしたが、町は、オススメです。

で、駅に戻って、ブリュッセルへ。今日は日曜日。明日は月曜日。美術館などは今日いかねばならない。というわけで、いそいで戻って、中央駅前のホテルにチェックイン、あるいてすぐのブリュッセルの美術館へゴー。といっても4時、残り時間は1時間。

つづく

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中国の企業がVOLVOにもSAABにも興味

ニュースによると、VOLVOの買取先として、中国の企業の名前があがっていた。で、今日のニュースでは、SAABの買取先としても、中国の企業が興味を示しているとのこと。

中国の会社ってお金あるんですねえ。

それはともかくとして、中国と中国人と中国の企業って、
CO2排出削減に意欲をもやすスウェーデン、
環境問題にはだれよりもうるさいスウェーデン、
公害に心を痛めるスウェーデン、
そして児童の労働にNo、のスウェーデン、
労働環境にひといちばいうるさいスウェーデン、
人権こそ宝!のスウェーデン、
女性の権利こそ全てにまさる、のスウェーデン、
非民主主義国などこの世に存在しないとスウェーデン、
ついでに、動物虐待にも目を光らせるスウェーデン、
これらのスウェーデンの理念とは正反対の国、場所、人々、会社じゃない?と思うんですけどね。

いつも思うのですが、これらのスウェーデンがかかげる問題を完全スルーしつづける、巨魁、中国に対してのスウェーデンの態度って、いまいち腰が引けてるように思うんだけどね。この前、両国の首相が会ってたけど、「環境問題で一言いってやった」てな記事だったけど、まあ、中国側からしたら、どうなんでしょうね。
まあ、上海にはエリクソンの人がたくさん働いていたり、いろいろあるみたいですけどね。

ちなみに、さらに思うのは、中国人の人の流れへのガードもはっきりいって、甘い。ひどいのになると、ストックホルムの寿司屋が中国からの人身売買の人の隠し場所になってたってのもあった。店の名前が赤坂、だったんですけどね。勘弁してくださいよ。
僕は以前とある資格をとるための講習を受けたんだけど、参加者100人近くのうち、ななんと、3分の1強が中国人でびっくりしましたよ。彼らはアメリカではシャットアウトされつつあるのですが、いけるところならどこへでもいくから、こっちに来てるわけです。
更に実話で、すばらしい履歴書(CV)を信じて受け入れたら、なんと、英語もまともにしゃべれないわ、なんかおかしい、ということで問い詰めたら、そのCVは全て偽造だった、というオチ。まあ、信じるほうが悪いんだけどね。

ま、話を戻すと、スウェーデンを代表する自動車会社が、中国の企業に買収される、という事態は実現しそうではあります。そうなった場合の企業イメージって、さらに落ちると思うんですけどね。

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