ライフ イン スウェーデン

スウェーデンでの日々の雑感、旅行記、サッカー観戦記、などなど。

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水道橋を渡れ!

5月11日月曜日 午後

川口浩きぶんを味わった洞窟から、最後のスポットへ。



水道橋。途中で曲がっているのが特徴。下は川が流れてる。

で、この水道橋、向こう側に歩いて渡ることができる。



アーチの上に人が立っているのが見えると思う。

で、僕もこれを渡った。向こう側へ。

歩き始めてしばらくして、今までに感じたこともない、下腹部からわきあがってくるような恐怖に襲われた。視野に、あのアーチが入るのである。そして自分が柵も無い、よろめいたいらハイそれまーでーよーてな場所を歩いていることを思い知らされる。数メートル歩いたところで、おもわずしゃがみこんだ。そして、怖くて立ち上がれない。撤退か否か。

立ち上がり、どこに視点をもっていくか考えた。なるべく前方をみるのがいい。そう、ビルとビルとの間に渡らせた綱をわたる曲芸人みたいな気分である。綱よりもはるかに幅はアル。で、規則的に軍隊歩きをすることによって、まず半分まで辿り着く。怖くて下をみることはできない。で、一気に向こう側までたどりつく。

中国人ラブワゴン御一同はへたれにもまったくわたろうとしない。ま、賢いともいうが。

で、向こう側にもどる。前半やはり同様の恐怖に襲われるも、なんとか帰還。

車で山をおりて、ツアー終了。お疲れ様でした。


町の景色。ちなみにあの旗のところに午前中登った。

で、中国人のみなさんとお食事へ。みんなで鶏とコメのグリルを食べた。話していて、台湾人の男性は、以前、台湾空軍に整備士として務めていたことを知り、いろいろ興味深い話をきかせてもらった。北京からの男性は、この旅の不況で仕事がなくなり、現在旅に出てるとこのこと。ちなみに朝、朝食を食べている時に話した同室のオーストラリア人も同様に仕事がなくなったところらしい。不況なのは世界中ってわけだね。

で、雨が降っていて、やんでレストランを後に。

この後、こちらのサウナへ行くことになる。続く。

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ラブワゴン イン トルコ

宿主催の数時間でサフランボルの近郊を訪ねるツアー。
ドライバーはご主人、そして長男推定2歳が同行
でツアー参加者は、私、中国人男子1人、台湾男子1人、中国人女子3人(台湾、香港、シンガポール)ちなみに台湾人男性が日本語がしゃべれたのでしきりに気を使って話しかけてくれた。

しかし、この人数構成は、そうラブワゴン イン サフランボル
ここでもし美しい女性がいようものならそわそわして観光どころではなくなるところだったのだが、幸か不幸か、女性3人ともドxxだったので、こころみだされること無く観光できた。席も助手席へ。しかし、ドライバーと助手席のあいだに長男がシートに立ってて危なくて(頭からフロントガラスに突っ込む可能性あり)その子を支えていた。
そのうちそのこもずうずうしく、こちらの肩に体重をどんとかけてきた。このやろー


で、最初の見どころ、渓谷。なかなか壮観であった。

続いて、昔の街並みを保存しているという村へ。
そこでもまずは民家の博物館へ


大体こんな感じの部屋のつくりだね。
もちろん押入れの風呂もあり。
つづいて、村の共同洗濯場へ。
で、その後30分村で自由タイム。中国人のみなさんはお茶する人やカメラを手に散策するひと。僕もさんさく。

で、その村は昔の街並みを保存しているのがうり、なんだが、僕の目からしたら、廃墟ツアーでしかなかった。しかし廃墟は実は好きなので、悪くなかった。

思い出話。むかし琵琶湖のほとりに幽霊ホテルがあった。そう、立てかけてつぶれたわけだ。で、金曜日か土曜日の夜、もりあがって、そこまでいった。今考えたら危ないが、その建物にはいり、階段をのぼった。写真が残ってないのが惜しいけどね。
で、その建物はその後とりこわされた。ちなみに帰路で後輩が居眠り運転で停車している僕の車におかまをほったんだなこれが。たたりか?

で、廃墟をみわたして、続いて車はサフランボルに戻った。長男がむずがって、お母さんに送り届けた。僕も一安心。

で、車はしばらくドライブで、今度は鍾乳洞へ。

で、道中、前日の夜行バスでの疲れがどっとでてきて意識を失い、気が付けば、身体がななめになりドライバーのご主人の肩に僕の頭がのって体重かけてた。すみません。

で、この鍾乳洞、しばらく谷をのぼったところに入り口があり、中は結構広くて、それに鍾乳洞も本格的。まさにインディージョーンズもしくは、水曜スペシャルの川口浩気分を存分に味わえた。

そして最後の水道橋へ。続く



かわぐっち~ ひろしがあああ~~~

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送別会第二弾

ヤンの定年記念パーティー第二弾
ちかくのレストランのようなところで。
雨の中歩いていった。しばらくしたらあがってた。


窓からの景色。


で、まずはシャンパン飲みながら談笑。

続いて着席。司会者の挨拶から入り、会がスタート。


元ボスからのお言葉。左にすわってるのがヤン

ほかにも別のえらい人からのお言葉もあった。


つづいて元々ボスからの一言。
「これからについて」を話していた。定年退職してからさらに人生を楽しむわけである。日本人は定年退職後の人生がもうひとつ幸せでない、といわれていたが、最近はどうであろうか?スウェーデン人はそもそも毎年夏にどかんと長期休暇をとっていてなれているので、定年退職後の過ごし方も日本人よりはうまいといえるだろう。
注目すべきはもう1点、手前に座っている同僚イラン人のもみあげである。「蹴りたい背中」ならぬ「剃りたいもみあげ」である。


そして前菜。まさにスウェーデン。


これは彼女がしきってみんなで歌を歌っている。歌詞カードはくばられていた。歌えないので聞いてた。


全体の風景。スウェーデンはこの前菜からメインまで長く待たせる。その間に談笑そして店としてはワインを飲ませるわけである。


そしてメインディッシュ。たいしたことはない。


そして、おばさんたちによる贈るなにかのかえ歌。もりあがった。

そしてデザートはあったのだろうけど、用事がありヤンに挨拶して先に帰った。なかなか楽しいパーティーであった。ヤンの親しみやすい人柄にもよったのであろう。

こんな感じでした。スウェーデンでのパーティーの雰囲気がわかってよかった、とかおもったら隣のバナー、北欧でもなんでもいいですからクリックよろしく。

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2009年UEFA CL 決勝 マンチェスターユナイテッドvs バルセロナ

2009年UEFA CL 決勝 マンチェスターユナイテッドvs バルセロナ

まずは自分ねた。
UEFA CLの決勝をテレビで見るのはこれで2005年からなので5回目。最初の3回はスポーツバーで。去年と今年は部屋のテレビで。2005年はリバプールが0-3からひっくりかえしました。2006年はヘンケもがんばりバルセロナ。2007年は超満員のスポーツバーで友人と。ミランvsリバプール、盛り上がりましたが結局ミラン。2008年は最後のPKをみることができませんでした。
スウェーデンにくるまでは、ヨーロッパサッカーに関しては、TBSの週末の番組をみるだけだったので情報もそれだけでした。アメリカンスポーツが好きなので日本にいるときは、日本シリーズ、そしてアメリカのワールドシリーズ(野球)そしてスーパーボウル(アメフト)が注目の試合でした。ま、日本のサッカーはそれなりにみてたのですけどね。(ガンバを応援)
で、スウェーデンにきたら野球の試合を見る機会は皆無。今年はたまたまアメフトのスーパーボウルはみれましたけど。で、サッカーに専念、というわけです。

今年は1月にバルセロナにいって、バルセロナvs マジョルカの試合をみました。ブログ日記はこちら。バルセロナはメッシは見ることができなかったけど、すばらしいチームでした。で、そのチームはスペインリーグ制覇をはたし、そしてこのCL決勝にこまを進めました。
で、一方相手はマンチェスターユナイテッド。CL連覇をめざします。

試合開始早々はマンUのペース。CロナウドのFK, シュートなど攻撃力をみせます。
しかし、開始10分でのイニエスタからのパスをエトーがうまくDFをかわしてうちに切れ込んでニアに強烈なシュート。これが入りバルセロナ先制。試合が面白くなるだろうとおもいました。20分台は、まさにバルセロナの華麗なパス回しを存分にみました。
マンUのチャンス、パクチソンがもうちょっと上背があればヘディングで押し込めたのに、というシーンもありました。(そう、パクチソン、こんな大舞台で活躍する彼はすごいですよね。)で、前半1-0
後半、70分、フリーのメッシが頭で叩き込みました。何故かれがあの位置でフリーなのかよくわかりませんが、マンUのDFの連携はどうなってたのでしょうか。。その前にアンリがGKと一対一で押し込めなかったのですが、これで試合が決まったように思いました。
後は、マンUの選手のラフプレーが目に付いたり、パクチソンに変わって入った9番もチャンスをいかせなかったりと、マンUファンにはいらいらする試合だったのではないでしょうか。テベスもルーニーもロナウドもいても点が入る気配はあまり無かったように思いました。正直ビハインドでのCロナウドはいらいらしてまさに相手の思う壺ってかんじでした。プヨルはバルセロナで目の前で見たのですが、今日の試合でもヘディングシュートをみせたりロナウドとからんでダイブぎみにとんだりと見どころ満載でした。
そして試合終了。マンUも最初の10分で点を取れていたら違っていたでしょうけど、試合の主導権も流れも試合運びも決定力も守備力もやはりバルセロナが1枚上手だったのではないでしょうか。
というわけで、カップを持ち上げて喜ぶみなさんを僕も気持ちよくワインをちびちびやりながら見てました。これでヨーロッパのメジャーなリーグの試合もほぼ終わってるので、サッカーはWC予選、そしてスウェーデン国内をニュースなどでチェックということになりそうです。

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サフランボル 民家の博物館

ところで誰も知らないとは思うが、サフランボルは世界遺産の町である。世界遺産巡りが好きな人はここにこないとね。

宿に戻った。ご主人と、その息子さん。で、おじいさんらしい人と、若い女性がいて若い女性がその息子さんと遊んでいた。

え?この人がりえさん?

どうみても普通のトルコ人だし、第一日本語をしゃべる気配が無い。

で、そのおじいさいんらしい人とその女性はその後出て行った。ようするに人違いだった。

そして、ホンモノのおかみさん登場。

「なにか聞きたいことはありますか?」

といきなり日本語で話しかけてきた。ピンクの服に、頭にはピンクのスカーフ。そうそう。これが噂のヤスミンさんか。確かに可愛いのう。田舎の素朴な娘って感じです。

で、となりの民家の博物館に関して質問した。受け答えも立派なものであった。もちろん日本語で。

で、その薦めにしたがって、短い時間であったが民家の博物館へいった。

ちなみに中国人にもどうだった?ときいたら、まあ普通だったとのコメント。

マネキンか蝋人形かしらないが、昔の生活を再現している部屋の展示。

で、そのなかでも一瞬びびったのがこれ



押入れの中のジダン


で、この部屋の反対側には金持ちそうな夫婦の立マネキンがあるのでとてもシュールであった。ちなみにこの押入れのようなもののなかにたらいがあり、水浴びができるそうな。ジダンさんはかくれんぼしているのではなく、風呂にはいってるのである。

で、20分で駆け足で出たのは、この後、宿主催の日帰りツアーに参加することにしたからである。中国人5人と私、合わせて6人で、ご主人の運転するミニバンで出発。

で、出かけるときに、ヤスミンさんに

「いろいろありがとうございました。 宮沢りえさん」

と話しかけたところ、いたずらっぽく微笑みながら

「私は 宮沢りえさん よりモ もっと きれいデス」

ときたよ。参りました。りえさんを超えた、超りえさん。

続く

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スウェーデン代表発表・嗚呼、トビアスヒセーン!

サッカーブログを標榜しておりながらサッカー記事は忘れた頃に。
ひさびさにスウェーデンサッカーねた。

マイミク、swe1707さんのブログより
http://www.plus-blog.sportsnavi.com/swe1707/article/32#footer

2010年南アフリカW杯欧州地区予選のデンマーク戦(6月6日、ストックホルム)、マルタ戦(6月10日、ヨーテボリ)に挑むスウェーデン代表メンバーが発表された。
DFオロフ・メルベリやMFキム・シェルストローム、そしてFWズラタン・イブラヒモヴィッチといったメンバーが順当に選ばれ、37歳のベテランFWヘンリク・ラーションも大方の予想通りメンバー入りした。
また、所属クラブでの練習中に筋断裂を起こし、招集が危ぶまれていたMFアンデシュ・スヴェンソンも選ばれた。ラーシュ・ラーゲルベック監督は、スヴェンソンについて「出場できるかどうかはまだわからないが、かなり前向きだ」とコメント。この32歳のセンターハーフはデンマーク戦までに間に合うと信じているようだ。
一方、スウェーデンリーグで得点ランキングのトップを走っており、代表入りが噂されていたFWトビアス・ヒセーン(IFKヨーテボリ)はメンバー入りしなかった。

メンバーは以下のとおり。

GK
アンドレアス・イサクソン(PSVアイントホーフェン/オランダ)
エディ・グスタフソン(レッドブル・ザルツブルグ/オーストリア)
DF
アンドレアス・グランクヴィスト(FCフローニンゲン/オランダ)
ペッテル・ハンソン(スタッド・レンヌ/フランス)
アダム・ヨハンソン(IFKヨーテボリ/スウェーデン)
オロフ・メルベリ(ユヴェントスFC/イタリア)
ダニエル・マイストロヴィッチ(AEKアテネ/ギリシャ)
ミカエル・ニルソン(パナシナイコス/ギリシャ)
ベーラング・サファリ(FCバーゼル/スイス)
オスカル・ヴェント(FCコペンハーゲン/デンマーク)
MF/FW
ダニエル・アンデション(マルメFF/スウェーデン)
ラスムス・エルム(カルマルFF/スウェーデン)
ヴィクトル・エルム(SCヘーレンフェーン/オランダ)
マルクス・ベリィ(FCフローニンゲン/オランダ)
サムエル・ホルメーン(ブロンビーIF/デンマーク)
アレクサンデル・ファルネルド(ブロンビーIF/デンマーク)
ズラタン・イブラヒモヴィッチ(インテルナツィオナーレ・ミラノ/イタリア)
キム・シェルストローム(オリンピック・リヨン/フランス)
ヘンリク・ラーション(ヘルシンボリIF/スウェーデン)
セバスティアン・ラーション(バーミンガム・シティFC/イングランド)
マルクス・ローセンベリ(ヴェルダー・ブレーメン/ドイツ)
クリスティアン・ヴィルヘルムソ

……………….

で、こちらでは午後2時に代表発表だったのですが、2時まではどのニュースのサイトをみても
「トビアス ヒセーンは選ばれるか否か? 本人曰く、たぶんだめだろう」

こんなかんじでした。
で、やっぱりだめでした。

で、このヒセーン。

WIKIの説明はコレ

私が2005年春スウェーデンにきて、彼が所属するユールゴーデンの開幕戦を生観戦した。それが縁で2005年はユールゴーデンを応援。チームは見事に優勝した。
で、この年のユールゴーデンの主力がこのヒセーン。で、パパ、グレンヒセーンがイングランドでもプレーしたスウェーデン代表ディフェンダーで、現在も解説者として有名。
パパとトビアスで、こっちのアパレルメーカーのCMキャラとして町で彼らの写真をよく見た時期もある。
ちなみに2005年、ユールゴーデンには現在デンマーク代表のソーランラーセンがCFとしてゴール量産していて、僕はラーセンのファンだった。トビアスはウインガーとして活躍してた。
で、かれはその後サンダーランドに2006年夏にいったのだが、2007年になんとご帰国。「サッカー以外の理由」で帰ってきた。当時がっかりしたよ。サンダーランドはプレミアにあがることになってたのにね。妻の出産がどうとかという記事もみた。とにかく、まあ、スウェーデン人らしいなあと思ったよ。
で、IFKヨーテボリに所属。で、今年は大爆発。現在スウェーデンリーグ、アルスベンスカの得点王である。ちなみに代表キャップは5、2006年の代表の国内待機補欠でもあった。
で、今回の代表選出、いっしょうけんめいメディアが盛り上げ監督首脳陣にプレッシャーをかけるも、やはりだめだった。監督との一問一答

(質問)で、ヒセーンは?

(答え)簡単にいうと、他の5人の方がいいから。

5人とは、ズラタン、ヘンケ、エルマンデル、ローゼンベリそしてベリをさす。
ま、5人も6人も試合で使えないし、使う気が無いのなら選ばないというのは正しい。
しかし、ローゼンベリはことしさっぱりだし、MFだがアンデシュは使えそうに無いらしく、ネットでのニュースもそのことを嫌味たらしくかいてた。
ま、個人的には、国内リーグ現在得点王なんだから選んであげてもよかったのではないでしょうかね、で、これが国内のみなさんの大体の意見かな。

余談。昔、僕が応援していた永島選手がゴールを量産しても加茂監督から呼ばれなかったということがあるが、それを思い出しました。
更に余談ですが、永島さんがドイツワールドカップを取材してたときに現地ニュルンベルグで遭遇、握手とツーショットをとりました。その時のブログ日記はこちら

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サフランボル到着

5月11日月曜日

イスタンブールからサフランボルへの夜行バス。
快適といえども、夜中2時過ぎにサービスエリアにて休憩で起こされ、結局朝5時過ぎにサフランボルの近くの町に到着なので、ほとんど仮眠だけでしんどい。
で、トルコのシステムでは、この近くの町からバス会社のサービスミニバスにのってさらに町にはいる。で、サフランボルの場合、その町からメインの旧市街までさらに距離があるがそこは自力でいかねばならない。朝7時以降ならローカルバスもあるが5時台にあるわけもなし。
で、とぼとぼと歩いてると、プープーとクラクションをならす車あり。

のっけてやるよ

その車はたぶんパン屋の商用車で、旧市街と町を往復してるのだろう。で、その親切に感謝。ぶじサフランボル旧市街へ。
地球の歩き方では徒歩30分と書いてありますが、山を下りて登るという強烈なアップダウンで、30分ではむりなコースです。

そこからあるいてすぐの、今回の宿。トルコの伝統的な建物



看板に「杖屋さんのペンション」とかいてあります。地球の歩き方でも有名なペンション。おかみさんが日本人客との会話だけで日本語をマスターしております。さらに、ネットでは「サフランボルの宮沢りえ」との異名をもつ美形との噂。

で、6時過ぎにベルを鳴らし主人をたたきおこす。部屋はまだあいてないので共用部屋で休憩。そこでネットをさせてもらう。同じタイミングで韓国人女性客もやってきてそこで寝てた。7時10分までネットやって仮眠。730すぎに朝食がはじまったのでたたき起こされ、寒いけど外を散歩。

あるいていたら学校があり、8時ちょうど、校長先生の挨拶となにか歌を歌っていた。校歌斉唱もしくは国家斉唱なんだろうけどどちらか不明。制服の子供達がそのあと建物にはいっていった。しばし歩いてもどって、交渉して明日の分の朝食を今日食べることに。

で、中国人5人のみなさんといっしょに朝食。そのあと別館の部屋に荷物を置いて、高台に上った。

これが高台からの町の眺め。ちっちゃい町です。

で、宿に戻って女将さんとご対面へ

続く



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イスタンブール新市街 アジア側への移動

軍事博物館を出て、タクシム広場まであるく。広場に面した店でケバブを買って食べる。そこからイスティクラル通りという繁華街があり、そこを歩く。人ヒトヒト。人大杉。閑散とした北欧からくるとこれは疲れる。もちろんスリにも警戒しないといけない。


で、この通りには古い路面電車がそこのけそこのけと通るのがおもしろい。


で、ガラタ塔。景色はいいらしいのですが、のぼりませんでした。


そこからさらにあるき、橋をわたる。この橋、上の段は車がとおり、歩道では釣りをしている。で、下の段はレストラン街。

橋を渡ったところには、魚のサンドイッチ屋などで賑わっておりました。
・・・・・・・・・・・・・・・・・
この夜、夜の12時30分にイスタンブール、アジア側の町、ハーレムのバスターミナルから夜行バスでサフランボルに向かう予定となっておりました。
ハーレムまではこの写真のある場所の船着場から20分。

で、夜10時25分にそのフェリー乗り場についたのですが、フェリーがいない。
切符売り場のおやじさんに聞くと。

最終便、もうでたよ。

あとで調べたら最終便は9時30分。

いまでるフェリーにのってアジア側にいってそこからハーレムに移動しなさい。

ダッシュでそのフェリーへ。
で、その10時30分にでるフェリーがでる寸前に飛び乗ることに成功。

アジア側のそのハーレムの北数キロの町について、他の人たちといっしょに乗り合いバスを探すもわからない。で、ハーレムに向かって歩いているとその乗り合いバスがきて乗ることが出来た。

で、ハーレムのバスターミナルへ。バスのチケットかって、一安心。

で、1230分、夜のバスの旅へ。

で、バスの中では、手に香水ふりかけたり、ちゃい、おかし、水のサービスがあり、なかなか快適であった。

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イスタンブール 軍事博物館

イスタンブール 軍事博物館
午後3時からの軍楽隊の演奏。
満員のホールで、後ろの庭から入場
そして、演奏。伝統的な軍の行進曲といったところか。



で、4時少し前に会場を出て、5時まで開いてるから楽勝でみてまわれるかとおもいきや、なんと430に閉めるからでろといわれた。
というわけできわめて早足



一番気合のはいった展示は、1453年のコンスタンティノープルの陥落であった。

トルコ民族がアナトリア半島でセルジューク朝をつくったのは11世紀末だし、イスタンブールがオスマン帝国の手にわたったのも、それほど昔の話ではないのである。



たぶん偉い人なんだろう

ほか、武器の展示、キプロスでのギリシャとの紛争、朝鮮戦争への出兵のことなどをみたが、一番みたかった、1918-23年ころの戦いに関しての展示はあったのかなかったのかもわからないけど、とにかく見ることが出来なかった。

ちなみに僕はキプロス(南)に数年前にいって、南と北に分断されている首都というものをはじめてみた。その警備は国連が担当しているのであるが、その緩衝地域は独特の雰囲気があり、忘れることが出来ない。で、北キプロスでいかに教会などがトルコ側によって破壊されたか、てな展示もあった。

トルコがEUに入るにあたってのあしかせは、このキプロスの問題と、国内クルド人への抑圧、そして、EUの他の国のイスラム国家への警戒があるとされているが、オスマン帝国の悪夢を忘れることができない国々の意見もあることだろう。

こちらのブログに展示品の写真がありますので興味のあるかたはどうぞ。

博物館をでて、横の売店で水とアイスクリームをかった。ここでかった水が一番やすかったのでおすすめ。

そして、新市街を散策へ。続く

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トプカプ宮殿

トルコでの日焼けでシャネルズみたいになってるMaggieです。そしてそれが剥け始めてぼろぼろです。

5月10日日曜日
世界遺産、イスタンブール歴史地域の目玉、トプカプ宮殿へ。オスマントルコ帝国の宮殿。WIKIによる説明では。
「トプカプ宮殿(Topkapı Sarayı)は、15世紀中頃から19世紀中頃までオスマン帝国の君主が居住した宮殿。イスタンブル旧市街のある半島の先端部分、三方をボスポラス海峡とマルマラ海、金角湾に囲まれた丘に位置する。
宮殿はよく保存修復され、現在は博物館として公開されているが、15世紀に建設されて以来増改築を繰り返しており、現在見られる姿を保ちつづけているわけではない。」

オスマン帝国
ブダペスト、ブカレスト、ウィーンと旅行でまわっていろいろ博物館などみてまわったが、このオスマントルコの侵略というのはこれらのヨーロッパ地域の大いなる脅威だったことがよくわかる。
絵画では、頭にねじり玉葱ターバンをまいて変な刀をふりまわす異国人(というか蛮人だな)が跋扈している。
ブダペストでは「オスマントルコからの支配から逃れた時、我々はヨーロッパ社会に戻ることができた」と表記されていた。
そんな大帝国トルコの歴史的遺産を訪れることは、いままでにない楽しみではあった。

入り口

宮殿あちこちにあるこの掲示板。そう、オスマントルコの巨大な領土がその地図に示されてあり、ガイドも満足そう。
同じような、最大図版の地図をあちこちでみた場所がある。そう、ハンガリーである。ハンガリーは、第一次世界大戦でこけるまでは、クロアチア地域も含めた広大な領土を誇っていた。
そう、トルコもハンガリーも昔を回想することが現在の立場に対する清涼剤とならざるをえないという理由もアル。
宝物殿では、贈り物、略奪物などなどが展示されていた。89カラットというダイヤモンド、綺麗に装飾された玉座やなかなか壮観であった。スルタンにはスルタンであるための立場、権威が必要なんで、彼らにとっては必須アイテムなんでしょうけどね、こういう宝石類。で、もともと物欲はないのだが、こういうのを見ると、ますます自分自身にとってそういったものがどうでもよくなった。

宮殿からの景色である。天気もよくすばらしい。海の見える景色ってのはいいよね。

「幸福の門」、その奥にある「謁見の間」、「第三の庭園」などなどみてまわる。

宮殿は、ハーレムという日本で言えば大奥も別料金で中を見学できた。もちろん美しい女性たちはいまはいないが。

で、録音音声ガイドも使って、十分楽しんだ。

で、そこから、軍事博物館へ移動。

15時に楽隊が演奏することとなっている。

で、ぎりぎりまで宮殿を楽しんだので、時間が無い。トラムをおりたところで、残り25分。目的地は丘の上である。

で、クソ暑い中、上り坂を走った。走りに走って、ジャスト1分前に、会場に辿り着いた。

続く

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お約束 飛んでイスタンブール

今日コレを書いてるのは2009年5月18日月曜日。仕事を終えて晩飯食ってゆっくりしてから。

で、書き始めます。よい子は真似をしないでね弾丸トルコツアー

初日 5月16日土曜日
朝飯食って駅まで歩いて、電車のって空港へ。
この町のいいところは、アーランダ空港に近いところ。

で、チェックイン。空港の中に入ったらスポーツバーがあり、そこでたまたまEurosportsのJ leagueの週間ニュースやってて、近くのソファーに座ってソレを見た。
久しぶりに日本のチームの映像をみたってかんじがした。

で、ソレ見てたら、空港に関するアンケートに答えて欲しいといわれたので、答えた。
空港でなにかかったことはありますか。
あるよ
何を買いました?

あ、そうですか。

(もちこみできれば買う必要もないんだけど、できないからねえ。)

で、最後に、年齢は
xx
は?
そこで、そのおばさんが聞きなおして、硬直してた。
まあ、若く見えるのはいいことなのだろうけど、なんか、最近何がいいのかわからなくなってきたね(笑)

で、トルコはEUじゃないので久々にパスポートチェック。そして飛行機へ

トルコ航空。悪くない。めしもまあまあだった。

で、3時間30分のフライト。あっというまにイスタンブール

べたでごめんなさい
飛んでイスタンブール

庄野まよさんのこの歌はがきのころであったがもちろん覚えている。
そして、これをかきながら、Youtubeでまさに30年ぶりに彼女の歌声をきいた。
最初のどあっぷをみて、おもわずのけぞった。自分の記憶よりもはるかに不細工だった。

ま、おいておいて、あの時代に飛んでイスタンブールなんてシチュエーションは現在旅行で10代でも海外に行ける今からはまったくもって考えられないものであった。

話を戻そう。
結局、この旅の第一の目標(飛んでイスタンブール)ははたせた

入国。そこから、地下鉄トラムを乗り継いで旧市街へ。

そこには予約しておいた安宿があった。

噂には聞いてたが、はんぱではなく、汚い。

受付がある4階にはいった。そこは昭和30年代(もちろん知らないのだが)のセピア色の世界、ソファーでたばこをすいながら漫画を読む日本人のみなさんがいた。

で、受付の人を20分待ってたのだが、こなかった。で、荷物を持てそのまま外に出た。チェックインしなかったのは、ま、結果おーらいとなったが。

そして、その後、知人の日本人女性とそのご主人の家に夕食へ
【続く】

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旅にでます。

また、旅にでます。今日。

いつかはいきたかったところです。
東欧をまわってると、悪の権化みたいに扱われているところです。
かつての大帝国。ヨーロッパとアジアをまたにかける国。
美男美女が多い国。
びよーんとのびるアイスの国
おもしろい自然にであえる国

ただ、噂や現地情報によると、「話しかけてくる人はみんな悪い人」だそうでちょっときをひきしめないと。

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ヤン爺さんの定年退職送別会

今日は、同僚のヤン爺さんが今月で定年退職となるので、その職場での送別会があった。
平日の昼2時30分から開催されるところがスウェーデンらしい。

FIKAの部屋、いつものテーブルに白いクロスがおかれ、花瓶が何個かおかれている。
周辺にチョコチップがまぶされていて、上にパイナップルだのみかんだのベリーだのキウイだのがのっかってる、みためには美味しそうなケーキが何個かおかれていた。

30数年勤めた彼が65歳の誕生日を今月迎えたというわけだ。
コーヒーをまずのんで、そして、そう、スウェーデンの誕生日を祝う歌
ヤーモーハンレーバ ヤーモハンレーバ。。
をみんなで歌う。

この歌は、こちらに来る前にスウェーデン語教材でしっかり勉強していた歌である。
今日のこの歌は祝いの歌でもあり、センチメンタルな感傷的な別れの歌でもあった。

温厚なヤンはいつも笑顔をたやさず、いろいろ声もかけてくれた。
前にいた施設から臨時で友人がこちらにくるときいて
「彼は僕の友人なんだ」
といったら、ヤンが
「(ここの)みんなも君の友達だよ」
と肩をぽんと叩かれた。
我々は技術職なのだが、彼の映画酔拳を思い出させるような老練な技術には参考になる点も多々あった。

そして、ケーキをみんなでたべる。内側にはプリンのようなものもはいってる。
しかし、食べたらやはりたいしたことなかった。甘ったるくて辟易とした。

窓から外を見たら、風で草やタンポポ、名前も知らない紫の小さな花も揺れていた。
そして、水辺からは遠いのに、ガチョウまで歩いていた。

で、同僚のみなさんから挨拶。上司、秘書さんなど。花瓶に入った花や、絵、本などがプレゼントされた。
彼のスピーチもあった。彼のやってきた仕事は、この国のその分野の歴史でもある。

数日前、彼がオフィスの棚を片付けるところを通りがかった。感傷的な気持ちにもなっていたことだろう。

そして、彼はもうしばらくしたら年金生活に入る。ながいあいだお疲れ様でした。

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佐野元春について

Youtubeで日本の昔の歌やテレビの主題歌などををここスウェーデンで気軽にきけるのは本当に嬉しいし、役に立つ。
今日は佐野元春のYoutubeを見てた。彼の80-92年の活躍をダイジェストにした番組だった。

僕はガキのころ草深い田舎にすんでたのだが、友達らと元春がきたらかならずコンサートにいったのは非常にいい思い出である。あのころ、もっとも好きで大きな影響を受けたのは彼の歌、そして尾崎豊だとはおもうが、尾崎とはちょっと生きる路線が違った。

「つまらない大人には なりたくない」

と元春はガラスのジェネレーションのなかで誇らしく歌った。

その言葉は、強烈なメッセージとして感じた。ただ、(行き先も知らずに走り出して)反抗するだけではない、つまらない、の反対が何なのかはいろいろ解釈はあるかとは思うが、そこにはクリエイティブなおもしろい生き方を着実に模索する、ということもあるとおもう。

そして尾崎は、あっさり死んで伝説になった。それはそれでひとつの完結だとは思う。人々の心のなかに残るアーティストになるというのは簡単なことではない。

しかし、元春は進化、かどうかはわからないが変化をおそれなかった。

VISITORS TOURではNEWYORKでの友人の形見の髪を自分に結び付けていた。ステージの上の彼をはっきり覚えている。ガキの感覚として、彼が過ごしたその街、その国に興味をもつきっかけとなった。

その後、彼はさまざまな試みを繰り返し、そして92年でダイジェストは終了。

で、僕はというと、92年以降の元春はほとんど聴いてない。

じゃあそれ以降は誰が一番心に残ってるか?というとミスチルと答えざるを得ないので、生ぬるい感じではある。

で、元春。今では温厚なおっさんという感じではある。

自分もおっさんの年齢なのだが、つまらない大人、の部分ももちろんあり、そうでない部分もあるからここスウェーデンに暮らしてるのかな、とも思う。

彼の歌で好きなフレーズは、いろいろあるけど、、

ときどき 二人は 感じ方の違いで 夕べのように きまずく沈んでしまうけれど
愛してる気持は いつもかわらない (バルセロナの夜)

冷たい夜にさよなら その乾いた心窓辺に横たえて
ひとりだけの夜にさよなら 木枯らしの時も 月に凍える夜も (Young bloods) 

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お祭りさわぎの一日 Valborg

4月30日、僕の町は異様な雰囲気となる。
朝の町、29日の夜から飲んでいた連中が、公園にごみを散乱させている。
文字通り、本当に、公園中瓶だの袋だの空き缶だのだらけ。
分別だの環境だのCO2だのいうまえに、ゴミくらい片付けろよ。

そして、30日朝、文字通り、朝からシャンパンをあおる人々。
10時からは、恒例のいかだ大会。
シャンパンの瓶を川に投げ込んでた目撃情報もあり。酷いものである。
僕はおおみそかのストックホルムで、立体交差の下の道に同様にシャンパンの瓶を投げ込んでる人を見たので驚きはしない。よっぱらいのお約束の行動である。

そして、午後にはあちこちのバーや臨時の屋外会場で、大音量がなりわたり、人々が飲み狂い、踊り狂う。この国にシステムボラゲット(お酒の専売)が必要な理由がよくわかる。



お祭り騒ぎ



テレビカメラ

午後3時には、大学図書館のベランダから教官が白い帽子をふり、卒業生などの大群が帽子を振り返す。僕はやじうま。

続いて、大学の講堂で男声合唱。みんな外のスピーカーできいてる。



ひとだらけ。

その後、夜までひたすらみんなのみ、うたう。あるパーティー会場を上から見下ろしてたのだが、まあ、酒池肉林という言葉がぴったりの様相だったね。



その醜態は、ちょっと日本からは想像できないでしょう。



こちらはカラフルな格好の若者たち。後ろでバンドの演奏やってた。



川沿い、多くの人が座ってた。川の向こう側でバンド演奏やってて聞いてた。

僕は町を歩いてたら知人夫妻とばったりあって、そのマンションにいってゆったりとワインをいただく。ゴチです。


ちなみに旦那はフィンランド人、奥さんはエストニア人。


で、午後8時くらいに、木などを積み上げたものを燃やすイベント、バルボリがある。
広く開けた場所で行われたのを見に行ったのだが、なかなか壮観であった。



日本人一家と一緒にみて、その後お宅にお邪魔して、夜遅くまで飲みつつ語り合いました。

翌日、町はガラスの細かい破片だらけ。そう、前日の瓶が割れて路上などに散らばってて、路上清掃車が回収しきれなかったものだが、危険である。
ニュースでは、大量のよっぱらいで警察おおいそがし、そしてお約束のレイプ事件発生というおちもつく。
草なぎ君などかわいいものである。

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