ライフ イン スウェーデン

スウェーデンでの日々の雑感、旅行記、サッカー観戦記、などなど。

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トリエステ町歩き

トリエステの町に戻って、まず小高い丘に登った。そこには城と教会があり
また、町を一望できる。

下っていくと写真のような昔のローマ劇場があった。



さらに海にむかって歩くと大きな広場があり、そこから繁華街が駅の方向へ続いていた。

駅前まで歩いてピザとビールの夕食。

宿に戻って次の日の重要な予約をネットでして寝た。

トリエステはミラマーレ城やハプスブルク家に興味がある人にはお勧めです。

次の日はまた移動。

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ヨーロッパは危険です

今朝のニュースをネットでみて暗い気持ちになった。

(引用開始)
ルーマニアの首都、ブカレストの郊外で、20歳の日本人女性が殺害されたと
現地の報道で伝えられ、日本大使館が確 認を急いでいます。

現地からの報道によりますと、ルーマニアの首都、ブカレストの郊外の路上で、
17日、女性が殺害されているのが見 つかったということです。 殺害された
状況など詳しいことは明らかになっていませんが、警察は、所持品などから、
被害者の女性は20歳の日本 人で、「マスモ・ユリカ」という名前だと伝えています。

*+*+ NHKニュース +*+*
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20120819/k10014376372000.html

(引用開始)

この女性のツイッターも見た。

(引用開始)
8月15日 それでは、いざブカレストへー!!!\(^o^)/

8月15日 ルーマニア着いてから一人で深夜電車に3時間乗らなきゃだから、それが最大の不安というか何というか辿り着けたら奇跡だと思う(>_<)
(引用終わり)

NHKによると、空港からタクシーに乗った似た女性が確認されているとのこと。

非常に申し訳ないが、ツイッターによると、彼女自身も自分の行動の危険性は自覚していたのだろう。
しかし、女性一人の行動、ルーマニア、ブカレスト、タクシーに乗ったら安全、という考え、そして、さらに女性一人の深夜電車

全てが間違っている。

海外在住者がもっと危険情報を流すべきなのだろうか。

私はブカレストに5年前にいった。そのときのブログはこちら

ルーマニアがEUに入っているからまともなヨーロッパの国と誤解する人もいるのだろうか、実態は貧しくて危険な場所である。
海外でタクシーが危険なのはこれも常識のひとつである。
どこに連れて行かれても対応できないわけだから。

それを一人の若いこぎれいなひとめで旅行客と分かる女性がこのような行動をするというのはどういったことか。

私も東欧で深夜電車に何度かのったが、最後にすり未遂にあった。
もう二度と深夜の電車には乗らないだろう。

どれだけの人がこのブログを見るかわからないがはっきりいっておきたい。

ヨーロッパと日本は違います。特に東ヨーロッパやイタリア南部はまともな先進国ではありません。
すりおきびきなどの軽犯罪から、強盗強姦殺人、それらの危険は高いです。
ヨーロッパではないが、トルコ(これも先進国ではありません)も危険です。特に日本語がしゃべれる連中はみんな詐欺師です。

自分だけが大丈夫、という考えはもっと危険です。

スウェーデン、都市部もすりおきびきは日常茶飯事。
夜の町も危険です。暴力にまきこまれる危険があります。私はよほどのことが無い限りこの国で夜の町は歩きません。特に週末。それが田舎でも。

ヨーロッパ旅行は楽しいです。しかし、そのためにはきちんとした計画、危険を避けるプランが必要です。
一人で危険な場所に危険な時間帯にいかずにもっと違う行動をとるべきでしょう。

これはちょっと前の日本人なら誰でもっていた感覚なのに、そして、両親が若い女性のこのような国で一人で行動させるなど絶対許さなかったと思うのですが、どうしたのだろう?

もちろん、成人が自分で決めたことなら仕方ないでしょう。

自分の身は自分で守るしかないのです。

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ミラマーレ城

milamare.jpg
ミラマーレ城

トリエステ駅前からバスに乗る。バスは北西のビーチサイド沿いに走る。1キロ以上にわたって水着のみなさんがみえた。泳げるエリアが広そうだ。
バスの終点でおりて歩くとそこにトリエステ城
この城はWIKIによると
「オーストリア大公で、皇帝フランツ・ヨーゼフ1世の実弟マクシミリアンの元で働いていたカール・ユンケルが、1856年から1860年の間に建てた」お城とのこと。

そして、マクシミリアン1世(1832年7月6日 - 1867年6月19日)は、ハプスブルク=ロートリンゲン家出身のメキシコ皇帝(在位:1864年 - 1867年)。

WIKIによると、1864年にナポレオン3世がオーストリア皇帝の弟であるマクシミリアンを傀儡としてメキシコの帝位に就けた。そして最後は若くして銃殺される。
その彼が3年程度住んでいたお城だが、コンパクトでさらに各部屋も見所があり、入場料6ユーロ以上の価値はあった。内部の写真を撮れないのは残念だったが。

なぜ若きハプスブルク家の皇帝の弟はメキシコに渡ったのか?どんな思いだったのか、という疑問がずっと頭をもたげ、後で検索してみた。帝位につくことに周囲も反対するものもあり、また、最後危険が迫ったときに亡命を勧められたが自らメキシコに残ったとのこと。
美しい海辺の城に住んで人生を過ごすよりも、危険は伴うが新しい場所で皇帝として生きる、ということに魅力を感じてそれを選んだのだろう。それは男としては理解できる。危険が迫った段階でも亡命しなかったことに関してまでは彼の気持ちを推測することは難しいが。

彼の賭けは結果として失敗に終わり、悲劇のメキシコ皇帝として名前を残した。

お城に、ハプスブルク家が支配した領域を示す世界地図があった。ヨーロッパは大雑把に言ってもスペイン、ポルトガル、オランダ、オーストリアからハンガリー、イタリア北部やクロアチアなど、そしてメキシコ、ブラジルのあたりも含まれている。ちなみにウィーンに行くとハプスブルク家の残した遺産で観光が成り立っているようなものである。
サラエボ事件から第一次世界大戦へ、そして敗北でハプスブルク家の中欧支配は終了した。

ヨーロッパでは今なお王室の残る国はいくつか残っている。私はそういった国が好きである。これは好みの問題であるが。スウェーデンもそのひとつである。

トリエステ城にも当時の各国の王様の肖像画が一同に飾られている部屋があり、そこにスウェーデン=ノルウェー王の絵もあった。そういうのを見るのは楽しいものである。

お城を後にして、バスでまた市内に戻った

続く

余談、これを書いている8月18日、涼しいスウェーデンに戻ってきました。
なのでここから写真つきです。

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トリエステへ

8月14日火曜日

朝、ブレッド湖一周ランニング!と思っていたけど、左ひざの調子が思わしくなく断念。
年をとると関節とくに膝が若いころのようにはいかない。
清原選手も松井選手も貴も結局は膝の故障が響いた。と一般人の私がえらそうなことをかいてもしゃあないが。

ホテルの朝食、最高だった。朝からシャンパンやベリーのリキュール、生ハムやいままでくったこともないようなうまいサラミ、ウインナー。注文してから焼いてくれる目玉焼きなどなど。

ホテルをチェックアウトして、電車で移動。
ラインはボーヒン鉄道という川の横の風光明媚な路線。Nova Goricaが終点。
この町はイタリアとの国境で、イタリア側の名前はGorizia.
イタリアの駅へ向かうにはバスがNova Gorica駅前からでている。
Gorizia駅についたものの、電車は2時間待ち。町まで歩くのも面倒なので駅舎内で東野圭吾タイム。

駅を歩く人の構成もスロヴェニアとは大きく異なっていることはすぐわかる。

2時間待って電車でトリエステへ。

トリエステ

私もこの旅の予定を組むまで知らなかった。

この町は歴史的にも重要な町である。チャーチルの演説で、「鉄のカーテン」について言及した部分は以下。
WIKIから引用

「バルトのシュテッティンからアドリアのトリエステまで、ヨーロッパ大陸を横切る鉄のカーテンが降ろされた。中部ヨーロッパ及び東ヨーロッパの歴史ある首都は、全てその向こうにある。
From Stettin in the Baltic to Trieste in the Adriatic, an iron curtain has descended across the Continent. Behind that line lie all the capitals of the ancient states of Central and Eastern Europe.」

今の若い人達には鉄のカーテンといってもぴんとこないかもしれない。
私の世代はもちろん鉄のカーテン冷戦ばりばり時代に少年期、そしてベルリンの壁崩壊の激動期を青年期で迎えているので、この言葉の状況はリアルで記憶にある。

そのトリエステ。現在はイタリア領だが色々紆余曲折があった、というのは興味がある人は検索してみてください。

駅ちかくの安宿にチェックイン。昨日との落差に笑ってしまうが、まあ、その抑揚が好きなもんで。

荷物をおいて町へ。

続く。

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ブレッド湖

8月13日月曜日

朝、バスで北西のブレッドへ移動。
美しい湖のほとりの保養地。

この町にバスが停車するところは2か所あると知ったのは、問題発生の後。
ブレッドというバス停でバスから降りたが、約束していたホテルからのお迎えがいない。
地図をみてもどうもおかしい。どうやら降りたところを間違えたと気が付いて、次のバス停(バスステーション)まで荷物持って移動。もちろんすでにホテルの車もなく、電話もクロアチアのテレカは使えず、キヨスクでテレカを買おうとしてもうってないとこれはやばい、というところでお迎えの車が念のためとまた来てくれた。
たすかった。ホテルは湖の反対側の丘の上だった。

チェックインの後、湖を時計回りにまわる。坂を上ってブレッド城に入り、そこのレストランのオープンテラスでランチ。遠くに湖に浮かぶ島と教会が見える。その景色とおいしいランチを楽しむ。

お城の中はちょっとした博物館。化石や風俗などを展示してあった。
窓からの景色は、アルプスの表側でこれも素晴らしい眺めだった。

城を出てまた水辺へ。
この日は気温25度くらいで、水温は23度くらいらしく、多くの人達が泳いで楽しんでいた。
私も参加したかったが、時間的に無理だった。

お城を出てぐるりと一周したらすでに夕方。島にいく手漕ぎのボートは今回は乗らなかった。

湖を見下ろす位置にあるホテルからの景色も素晴らしい。夕食はレストランでフィッシュとダック、フォアグラというあまり自分で頼むことのないコースを楽しんだ。

それにしてもホテルの素晴らしいホスピタリティーには頭が下がった。機転を利かせて2回迎えにきてくれたがこれがないと散々な思いをするところだった。部屋もグレードアップしてくれて広い角部屋だった。金額的にも連泊は無理だが、やはりこういったところでたまには贅沢するのもいいものである。是非また訪れたいホテルであった。

ちなみに夜、BBC製作の日本のドキュメント番組、関ヶ原で侍がみんな英語で会話していたのは違和感ばりばりだった。

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リュブリャーナへ

8月12日日曜日

ザグレブから電車でリュブリャーナへ。電車が出たらすぐクロアチアから出国のパスポートチェックがあり、そしてスロヴェニアにはいってまたパスポートチェックがあった。

この町は2回目。前回、2年前のブログはこちら

あまり時間もなかったので今回は、国立現代史博物館だけいった。

前回の展示と大きく異なっていたことは、前回は10日間の独立戦争のパネルや展示などが充実していたのだが、それがなかった。そして、独立以後のEU加盟やシェンゲン条約加盟などの情報がその場所を占めていた。

そうそう、博物館前にあった戦車もなかった。

国として、軍事作戦が成功した上での独立、という部分へのフォーカスが、独立以降の躍進へ移ったということととらえた。

前にも書いたが、ヨーロッパの多くの地域は支配国家民族が何度か変わる場所もある。
一方、領土、ということへの意識が日本人があまりに低すぎて泣けてくる。
政治家、もちろん政権与党の情けなさは今始まったことではないが、彼らの国民向けのパフォーマンスには、何が何でも領土を守る、もしくは取り返す、という具体的なビジョンも方法も全く見えない。

まず政治家が口にする「平和的解決」なんでしょうこれ?この今の状態で話し合えば不法に占拠しているヒステリックな連中が帰国するとでも。もちろん「平和的解決」という言葉を使うのは全然かまわないが、政治や外交というのはその言葉で相手を欺きながら、水面下できちんとした問題解決の動きをとることでしょう。これができない例えば「友愛」政治家などは日本にとって害以外の何者でもなかった。。

この場合、平和的解決とは、政治的経済的兵糧攻め、他の国や国際機関へのロビー活動で日本の立場を明らかにして、そしてあらゆる軍事オプションを考慮して高い作戦成功率をえたうえで、背後から相手のこめかみに拳銃をおしあてたうえで、「平和的」に不法に占拠している連中にご帰国願う。そこまでのプランや「本気」がなければ絶対返ってこない。
もちろんそういったことは実際政治を動かしている連中とこの国の自衛隊が作戦を立てることであり、私が夢想したところで何にもならないわけだが。

もういちどスロヴェニアの歴史に戻ると、彼らの強引なユーゴスラビアからの短期間での独立は、彼らの政治的軍事的な作戦の勝利である。決して平和的解決ではないが、結果的に平和になった。

今回残念なことがある。調べたら今回の大きな目的のひとつ、SUSHIMAMAが日曜日休業だった。
これには泣けた。

夜は前回もいった同じ駅前の中華料理屋。中華はクロアチアではまったく食べる機会がなかったので前回同様おいしくいただいた。

この日の夜、ホステルのバーでロンドンオリンピック閉会式を見た。正直私の好みにあうセレモニーではなかった。

自分にとって深刻なことがあった。次回オリンピックが4年後に必ず行われるわけだが、その時の自分の年齢を改めて計算した時(4足しただけだが)に愕然とした(笑)。本当は笑い事ではなく、そのまま部屋に戻り暗い気持ちでビールを飲んでねた。

他の国や日本のことを憂う前に、まず自分のこれからの人生について憂う必要があった。

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クロアチアのEU加盟についての私的意見

8月12日

朝のバスでザグレブに移動。

この町も3回目。過去2回はTOMさんの宿に泊まったのだが、今回は残念ながら日程の都合上無理だった。

ザグレブはクロアチアの首都。WIKIによるとクロアチア唯一の100万人都市圏。
ちなみにクロアチアの人口は450万人。

クロアチアは来年7月にEUに加盟することが既に決まっている。

私的な意見だが、EUに入って経済的にメリットがあるのかもしれないし、すでに加入前でも援助を受けているとのことらしいが、正直、それ以外の問題も多いと思われる。

現在クロアチアは不況だそうだ。他の国同様失業率があがっている。これはどうなるだろう?
EUの他の地域からの安い品物の移入、とくに農産物の移入でクロアチアの農家への深刻な打撃は考えられるとのこと。

EU内では人の移動は基本的に自由である。クロアチアを歩いてわかることは、ほとんどが白人だということ。
夏のバケーションではスロベニアドイツチェコなどから結構きているらしいが、他のEUの国ほど中国人に会わないのも事実である。

これがEUに入ったらどうなるか?

まず、クロアチア人がもっと他の国に出ていくだろう。
これは、本来残って欲しい人がでていくということである。ポーランドなどのように。
そして、今よりももっと人が入ってくるだろう。「望まれない」人達も含め。

ストックホルムではロマ族の物乞いの数が猛烈に増えている。オスロも同様とのこと。
すりも多い。犯罪者に国境がなくなったからというのもあるだろう。
コペンハーゲンの中央駅周辺には売春婦が目立つ。黒人系もいたなあ。
宗教の違いによる文化の摩擦もどの国も大なり小なり抱えている。

いまでも普通に入国できる人は旅行者としてクロアチアにやってきているのだが、今後は普通なら入国できないだろう人達が国境をノーチェックで超えて来るわけである。

後、まず私が預言しておきたいのは、EUの他の国に住み着いている中国人がビジネスチャンスを狙ってくるだろう、ということ。

そう、現在、クロアチアにはほとんど中華料理屋がないのである。日本料理屋もないけど。

他のEUなみ、隣国のハンガリースロベニアイタリアがそうであるように、中国人がやってくるだろう。
ビジネスマンとして、そして、旅行者として。それがいいのか悪いのかはその国の判断だが。

それはクロアチア人にはいいことなのだろうか?EU加盟の是非の投票はこの1月にあって国民がEU入りを選択したそうな。それは経済援助への期待、そして、自分たちの移動をもくろんでいるからだろう。

しかし、私は、いままで接したことのない人々の移入(クロアチアは現在ほとんどがクロアチア人の国)は、摩擦を招くのは間違いないだろう。他のEUのように。もちろんオランダやスウェーデンをみてもわかることだが。
(予め言っておきますが、私は多文化主義なるものに疑問を呈しているものです。国の形がゆがむほど多人種多文化になったらそれはそのオリジナルの国とは別の国に変わったと考えます。)

今の段階でも日本人が差別的な言葉を投げかけられているとのこと。そういう人との接点がなかったからだろう。これがどうなるだろう?わからないとおもってクロアチア語で投げかけてくるそうですが。

そして拝金主義が進むとどうなるか?
クロアチアの物価はいまはかなり安い。これもEUROが導入されたら多分物価がEUの隣国なみにはなるだろう。
そして、今でもドブロブニクの物価はかなり高い。観光地料金というのもあるが、それにしても横並びで料金をあげ通称「ぼったくり通り」もあるそうな。今回聞いたところでは、有名なガイドブックにものっているレストランが、会計でお金を奥にもっていって、戻ってきて100クーナ足りない、と偽りのクレームを日本人客につけた、という被害が複数あるらしい。それは日本人が真面目にそういったときに抗議しないですぐ折れるから、というのもあるだろうが、やはりその店に問題があるのだろう。名前は書きたいが控えておきます。すべての店で警戒してもいいでしょう。

さらに、犯罪。日本人がすり被害にあったという例がドブロブニク、トローギルであったそうです。これらの被害はもっと増えるでしょう。

以上を考えても私にとっては今のままのクロアチアの方がいいのですが、クロアチア国民の選択、どうなるか今後も見守っていこうと思っております。


午後、今回も楽しかったクロアチアに別れを告げ、電車でリュブリャーナに移動。続く

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プリトヴィツェ湖群国立公園でジョギングと貸しボート

8月11日

この日のメインイベントは朝。7時から公園に入れるが、7時10分くらいに入園して誰もいない園内をジョギングしました。湖畔を走っては朝の静かな景色の写真を撮ってはまた走りを繰り返し、そして滝の反対側までいってまた戻ってと1時間の最高のシチュエーションでの贅沢なランニングを楽しみました。だんだん人で混み始めたのでこの時間以降のジョギングは無理です。

その後ホテルに戻りシャワーあびて朝食をとって再び入園。

水の色などは光の状態、太陽の位置や角度で変わってくるので、午前中と午後では同じ場所でも異なります。この日は前日に行けなかった上流も奥まで見て回りました。

で、さらに、夕方1時間貸しボートを漕ぎました。
貸しボートを楽しんだのはいったいいつ以来なのかもさっぱり思い出せません。
ボートに乗るときいきなり揺れてびびりました(笑)
船に接触しないようにあまり湖の真ん中にいかないようにしたら、水中に倒れている木の枝の部分が水中でボートにひっかかってしまいこれは見えてなかったので最初何事かとびっくりしました。
次第に慣れてきて、1時間えんやこらと美しい湖でのボートを楽しみました。

この日はジョギング、ウオーキング、そしてボートと3種類の楽しみ方で公園を満喫できました。

次の日の朝、移動です。

続く

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プリトヴィツェ湖群国立公園 2012 その1

8月10日

スプリット朝830分のバスでプリトヴィツェ湖群国立公園へ移動。
バスは1時間遅れで到着。

昨日までの猛暑が嘘のような涼しさ。さすが内陸部。

ちなみに、2年前に訪れた時のブログはこちら

バス停降りてから車道の横を怖い思いをして歩いてホテルに到着。このホテルの大きな問題点で他の人のこのホテルへのコメントもこのことに集中している。きちんと歩道を作らないといつか死人がでるよ。

もちろんホテルが道を作れるわけはないけどね。
チェックイン、そしてチケットを購入して、2年ぶりの公園へGO

まずは船着き場近くのレストランで昼食。すごい列だった。

腹ごしらえの後、ボートを乗り継いで滝へむけてあるく。
そう、逆向きのボート乗り場の列もひどかった。ボートは稼働できるだけ稼働させてるみたいだけど。
今回は2回目なのでそういうネガティブな面が目についたな。

滝を上からそして反対側から眺め、公園内を歩いてあっというまに夕方。

やはりこの公園の景色は、ヨーロッパで見ておくべき景色トップ10に楽勝ではいる場所だろう。

清らかな水、澄んだ湖と滝、泳ぐ魚。緑。そこには日本人が求める自然の姿が存在する。

ホテルに戻って夕食。またイカのグリルとパスタ。

その後、Keyhole TVでサッカー男子3位決定戦を見て、最悪の気分でロビーにおりてビールのんで少し気分を落ち着かせる。例の件も含めて最悪の1日だった。

が、しかし、政治の件とスポーツの結果は切り離して考えるべきだろう。サッカーはDF3人でひとりのFWにかわされゴールを許すってちょっとひどすぎると思うし、その後もカウンターで失点した段階からも勝てる気は全くしない試合だった。例の件についてはまた頭が冷めてから語ろうかとは思う。

このホテルには2泊の予定。

続く

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スプリットへ

8月9日

朝またJelsa港まで送っていただいて、そこからフェリーが6時に出た。
6時25分、Brac島のBOLに到着。
この島も2回目。前回と逆回りだがその時のブログはこちら

目玉はZratani Rat.
最高のビーチで泳いだ。
そう、この日が海泳ぎ最終日。8月4日から6日間連続で泳いだわけだが、海水浴の楽しさというのははっきりいってきりがない。なのでどこかで自分でこの夏はここまでと区切りをつけなければならない。
去年は一度も海水浴ができなかったのでまさに2年前のクロアチア以来の楽しみとなったが、来年もまたどこかで必ず泳ごうと思った。

シャワーを浴びて着替えてバス停へ。1045の便で島の反対側、SUPETARへバスで移動。ずっと寝てた。
フェリーのチケットかって1230にのって1320にスプリット着。
晴れて暑い日だったが途中から甲板にでた。
甲板ではどうしてもオフコースの「風に吹かれて」を聴きたくなる。

スプリットではバスターミナル直行。次の日のチケット購入。これで一安心。
アパートのオフィスへ。チェックイン。
暑い日だったのでまずはスーパーで食料品購入、そして部屋でビールを飲みながらテレビでサッカー観戦。
17時になって町へでる。

スプリットは世界遺産の町で、ここの有名な見所、地下宮殿へ。3回目のスプリットだがここは初めて。
まあ、遺構なので何もないともいえるが、構造などがわかり、そして掲示で様々な情報も得られることが出来た。

町にはまさに人が溢れ返っている。海から見てもわかるがこの町はクロアチアでも屈指の都会。
音楽もステージからじゃんじゃん流れていた。

夕食は、タコサラダ、シーフードパスタとえびのフライ。

このあげたての中型サイズの海老、しこしことした歯ごたえ、味、全てにおいてパーフェクトだった。
現在在住の某北欧の国でこんなにおいしい海老の料理などは存在しない。
たいしておいしくもないザリガニ料理はあるが。
新鮮な海の食材ときちんとした料理人のくみあわせへのアクセスが人生にとってなにより重要である。

まあ、いかとかえびとかでいちいち喜んでいるのは日本在住の人にはあまり想像つかないかもしれないが、これが現実である。

この夜、KeyholeTVでなでしこJAPANの敗戦を見ていた。すばらしい銀メダルだったと思います。

しかし、別の日本からのNEWSで怒り心頭となりました。

スプリットの夜、外から音が聞こえてきましたが泳ぎつかれてもいたのですんなり寝ました。

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HVAR 苫屋さん

8月8日

朝4時25分発のフェリーでラストボ島を出発。2時間でフヴァール島に到着。
この島は5年ぶりの訪問。
ホテルで詰めてもらった朝食を食べ、7時にロッカーに荷物を預ける。
そして、まずは山に登り、そこから町を見下ろす。

ちなみにその景色はこんな感じ
5年前と何も変わってない美しい町。

そして山から下りてビーチの辺りを散策。そして苫屋のご主人、奥寺さんに電話。

10時に車で迎えに来ていただいた。

そう、苫屋さんは以前はスプリットにあって2度訪問していて、昨年よりフヴァールに移っていてこちらには初訪問。2年ぶりの再会。いつものごとく手土産にビール。

チェックインの後、ビーチへ一直線。

このビーチがすごかった。何がすごいかというと、たまたまだったそうだが、風と波。
岩場は怖くていけなかったので旅行客家族連れがごったがえすメインのビーチで泳ぐ。
波打ち際では大人も子供も波を胸や背中にうけてふっとばされて遊んでいるがそれにも参加。
こんな遊びはいつ以来だろう?昔山陰の波はこれよりもっとえげつなかったが。
たっぷり泳いで波と戯れてすっかり疲れて戻る。
ちなみにランチは海辺のピザ屋。シーフードピザがにんにくがきいて絶妙。
夕方は、宿の近所のレストランでイカのグリルを楽しむ。
とれたてのぷりぷりのイカのグリル。今私がいる北欧某国でイカといえば大手スーパーが輪切りを冷凍したのを売っていて、これが解凍すると水がじゃんじゃかでてくる代物。生をパックで売っていることもあるがこれも鮮度が非常に疑問の一品。というわけで、まともなイカも食えないこんな国がポイズンなのはわかりきっているのでこうやっておいしい食事を海外旅行で楽しむそして日本に帰国時に楽しむというわけである。

夜、ご主人やほかの日本人客らとビール、ワインなどで真っ暗になるまで語り合った。面白い話もいろいろあったのでまたまとめてみたい。
空を見上げると満点の星。

この日本人宿には今後もお世話になりたいと思っております。

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ラストボ島へ

8月7日火曜日

朝、軽く旧市街を歩いてパン屋でピザをかって朝からピザとビール。
そして1035分発のフェリーが来るのを待っていた。
待っていた。
来ない、、、、

結局11時30分にきやがった。昨日乗船できなかった会社の船である。

遅れたというよりは、”予定通り”1時間後に来たという感じである。酷い会社だ。

そして1時間おくれでラストボ島に到着。

この島、地球の歩き方にも載ってないし、検索してもあまりヒットしない島である。

こちらのブログがおもしろい

http://www.geocities.co.jp/SilkRoad-Lake/2917/euro/zara.html

一部引用
「第一次世界大戦後にザーラとともにイタリア領になったのがラゴスタ島で、現在のクロアチア領ラストボ島だ。

中略

さて、イタリア領になったラゴスタ島は、周囲の45の小島と合わせて面積53平方km、人口は1710人(1920年)だった。ラゴスタ島はイタリアからバルカン半島への入口として開発が進み、人口も2000人を超えたが、第二次世界大戦でユーゴスラビア領になると海軍基地の島として外国人が訪れることは禁止された。1991年にクロアチアが独立しても島はユーゴスラビア軍(セルビア軍)が支配し続けたため、多くの島民が難民となって逃げ出し、翌年クロアチアへ引き渡されたとはいえ島の人口は800人足らずに減少。現在では島を自然公園にして観光客を誘致しようという計画が進んでいる。 」

とのこと。私もこの島に来るのは初めてなので、今回の旅の大きなポイントの一日。コルチュラから1時間15分。フェリー乗り場にホテルのお迎えミニバスが来ていて助かる。乗り場から3キロのところのホテルにチェックイン。まずはランチ。ツナの切り身のグリルをリーズナブルな価格で楽しむ。

で、部屋で着替えて海へ。

泳いでは歩いて場所を変え、そして泳いでは変えと移動しながら1.5km先くらいまでいって引き返してまた泳いだ。もちろん透明度も美しさも文句なし。水中にはメダカサイズの小魚からヒラメ、30cmくらいの魚などが一匹もしくは2匹、もしくは群れを成しておよいでいる。
私は耳への圧力に耐性がないため、ダイビングは体験ダイビングで諦めた。もっぱらシュノーケルである。
自然の中で泳ぐ魚を見るのはなかなか楽しいものである。なぜだろう?人間がもともと海から上がってきたからではないだろうか?しかし、もう海には戻れない。こうやって水際で泳いで眺めるだけとなったが。

実は朝起きてコルチュラの朝のビーチに行かなかったことを後になって後悔した。とにかくアドリア海を泳ぎまくるというテーマの旅なのだが、朝ちょっとしんどくて妥協してしまった。その分もこの午後しっかり泳いだ。

夜は近くのレストランでとれたての魚をグリルしてもらった。これは最高にうまかった。この旅のメインイベントという感じだったね。

そしてバーでビールを引っかけて、これかいて、寝る所。明日は朝4時25分のフェリーで移動。この時間なんとかならんのか?とは思うけど、しゃあない。それしかないので。

ラストボ島。知人は1日では足りない、1週間は腰を落ち着けて滞在してほしい、といっていたが、私は基本が弾丸トラベラーでとにかく多くの場所に行きたいタイプなので、この島も1日だけ。ちょっと残念ではあるが、十分楽しんだ一日であった。美しい自然、海、満足できるホスピタリティーのホテル(Hotel Solitudo)。そして美味しい海産物と安いビール。多くの観光客もたぶん多くの国から来ていた。今後日本人にも知られていく島と思われる。

My journey goes on!

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コルチュラへ

8月6日月曜日

この日は高速フェリーで朝コルチュラ島に移動、泳ぐ、という予定。

朝起きてチェックアウトして(といっても鍵をポストに落とすだけだが)バスにのってフェリー乗り場へ。
バス一本目の前でいってしまったので9時15分発のフェリーだったが30分弱前に到着。

切符売り場の列に並ぶ。

何かがおかしい。列がまったく短くならないのである。そのうち、列の人と船の業者の話で状況が見えてきた。

チケットはソールドアウトで追加もなし。

これにはたまげた。バスならともかく、船で満席でソールドアウトなんて全く予想もしてなかった。
外国人が怒り狂って対応する船会社の人に話して、さらに船のキャプテンにまで直接懇願したが、だめなものはだめ、で船は港をでてしまった。

これははっきりいって観光立国としてはとんでもない失態だと思う。ネットで検索してもネットで海外から購入できる方法はなく、当日朝買うと地球の歩き方にも書いてあった。で、その場の会話でわかったが、この日ごく少数の当日券(15枚!!)だけ売り出されていたそうである。

すでに次の島の宿の予約はとっているはずで、そういう時にネットで予約もできない船が人数オーバーで載せられませんではしゃれにならない。

船が岸壁を離れるのを見届け、数100メートル離れいているバスターミナルに行った。コルチュラ行きは9時にでたばっかりで次は15時である。19時30分に次の高速フェリーがでるとの話もしていたがバスを選択。

これで予定外のドブロヴニクの時間ができた。この日も朝から34度、、
バスで戻って、昨日いかなかった自然博物館。100年以上前の標本があり興味を引いたが、クーラーのない館内は到底長居出来る場所ではない。
港のベンチでビールを飲み時間をつぶし、ランチは昨日の夕食の店で、この日はタコのサラダとムール貝のパスタ。
ちなみにクロアチアのパスタはイタリアのレベルからははるかに落ちる。これはパスタや麺類へのこだわりが尋常ではないイタリア人と日本人の味覚や要求が突出しているのかもしれないが。ちなみにスウェーデンは論外。

それはおいといて、わかって頼んだパスタはスパ王モードだったが、タコサラダとビールと楽しんだ。すでにここまでで1Lビールを飲んでいる。
さらに港のベンチで時間をつぶし、バスでバスターミナルに戻って15時バスは発進。

ちなみに5年前はコルチュラからドブロヴニク行きのバスのチケットがソールドアウトで困ったことになったのだが、今回はそのコースの逆向きである。

18時30分前にコルチュラ到着、ホテルチェックイン、インフォメで明日のフェリーのチケットを確認(やはり当日券しかない)
そして夕暮れのビーチへ。今日も短時間だが泳いだ。水は冷たくはない。きちんとした砂浜ビーチではなく、岩場なのでけっこう危険ではある。泳ぎ始めたらむこうから三叉のもりをもった人が泳いできた。あぶねー刺されたらしゃれにならないよ。次は外して手に持って泳いでいたらシュノーケルのいきつぎの筒を海底に落とした。4回目の素潜りでなんとか回収。やはり自然をなめてはいけないと思った。

夕食は近くのレストランでシーフードグリルとムール貝のワイン蒸し。これは最高だった。

というわけで、ハプニングのクロアチア3日目でした。

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ドブロヴニク2日目

8月5日日曜日

ドブロヴニク2日目。この日はドブロブニク1day card130クーナを購入。これで旧市街の見所を回りました。8つの観光スポットとバス24時間券。楽勝で元が取れるすぐれものカードでした。
午前中に1か所、総督邸にいって、ランチはまたシーフード。午後から海洋博物館、ギャラリー、民俗学博物館、マリン・ドルジッチの家とまわる。
晴れて気温は35度程度。20度そこらの国から来たのでまじでこたえる、が、ここでメインイベントのドブロブニクの城壁めぐりを夕方に回す。明日乗るはずのフェリー乗り場までバスでいって確認して、アパートに戻って水着に着替えて海へ。
4時20分くらいから5時30分まで、旧市街からちょっと離れた場所までいって泳ぐ。
晴れた空、透明な海。

私の子供のころの夏といえばプールでの水泳、もしくは海水浴だった。
海は波はあるはたいしてきれいではないわ、といったところだったが、それでもやはり夏は海。もちろん大人になってからも。そして、海までのドライブを楽しんだり、海の家でやきそばくったり、夜はバーベキューを楽しんだり、花火したりと、そういうのはいい思い出である。にっぽんさいこー

しかしクロアチアの海もそのクオリティーの高さで私の中で大切な場所である。

私が今ままで泳いだ海は
日本、東は和歌山から瀬戸内海にかけて、山陰は日本海、九州は宮崎沖縄、四国は高知で太平洋。
海外は、ハワイ(オアフ、ラナイ、マウイ、ハワイ島はプールだったか)、ニュージーランドオークランド、オーストラリアゴールドコーストとグレートバリアリーフ。サイパン、グアム、アメリカ東海岸、メキシコカンクンでカリブ海。ブラジル、リオデジャネイロ。
ヨーロッパはギリシャのエーゲ海、キプロスの地中海、スウェーデンのバルト海、そしてクロアチアのアドリア海。

このなかではギリシャももう一度行きたい場所なのだが、あの国にどのタイミングでいけばいいのかわからないのでここ数年候補地にのぼっては消えている。

あといっておきたいところは、スウェーデン在住者らしくタイのプーケット、カナリア諸島(ここにいって大瀧詠一のカナリア諸島にてを歌いたい)そして、セイシェルか(ここにいって松田聖子のセイシェルの夕日を聞きたい)。

海水浴の後、城壁を歩く。やや涼しくなってきたので歩くのには丁度いい。城壁からの旧市街や海、山の景色は一件の価値ありです。

この後、夕食は、行列のできる店で、生がきなどを食べました。

そしてクロアチア2日目終了。

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5年ぶりのドブロヴニク

2012年8月4日土曜日

早朝深夜バスを利用してアーランダ空港へ。
いつも利用するマクドは6時開店と微妙なので、荷物のチェックをうけて中へ。
いつものごとく、冗談みたいな値段のお食事が並び、空腹だったが
ラマダンモードと称して水だけ買って(これも300円するんだが、、)機内へ。
寝不足だったのですぐ寝て、飛行機は7時10分に飛び立ちほぼ3時間でドブロヴニク。

ここにくるのは5年ぶり。
前回の旅ブログはこのあたり

この5年間、当たり前だが自分にもこの町にも大きな変化があった。
この町の変化としては、ロープウェーが再開されていた。

前回行ったとき、ロープウェーの駅の廃墟はうろついた。
しかし、勉強不足でそれが戦争の為だったと知ったのはその後。
ちなみに私は山の中を道なき道を歩いたのだが、地雷が埋まっていたと知ったのもその後。

とにかく、生きてまた戻ってきた。

Booking.comで予約したアパート。これが最高の立地条件。旧市街内。
25EUROで空港まで迎えに来てくれた。部屋もこぎれいでこのようにWIFIも使える。

まず、スーパーで水などを買って、パン屋で昼食かって、ロープウェーであっというまに頂上へ。

ここからの景色は素晴らしいが、前回のブログの写真の時となんらかわってはいない。

で、前回単なる廃墟だと思ったところはナポレオン時代からの砦。ここで現在は戦争博物館の展示がある。
入場料30クーナを払って入る。

一番衝撃的だったのが、ユーゴスラビア軍が撮影したこの山や旧市街や町へのロケット攻撃の映像。
自分が歩いた場所、そして今日歩く場所がもと同じ国民から攻撃される映像というのはやはり心に重くのしかかる。攻撃は1991年の11月と12月。ほんの21年前である。

クロアチアは耐えて結局独立を勝ち取る。検索したが正直独立を阻止しようとした側の大義はよくわからなかった。ただ、セルビアびいきの人からは、セルビアは国際的な情報戦に負けた。クロアチアもたいがいなことをやってきたんだ、という話は聞いたことはある。

景色を楽しみ山を下り、宿に戻って、海水パンツはいて旧市街へ。

この旧市街にも海水浴場がある。

そこで、2年ぶりのアドリア海の中へ。透明度は島にはやや劣るとはいえ、素晴らしいレベルである。

(あまり書きたくないが、とりあえず。私は7年前バルト海で8月に泳いだことがあるが、まるで氷水だった。二度と泳ぐ予定はない。ちなみになんとか湖なども同様である)

シュノーケルグッズは5年前にクロアチアで買ったもの。これで小魚の群れと戯れる。

余談だが、若者たちも多く水辺で楽しんでおり、非常に目の保養にもいい。

この後、部屋に戻って休憩して旧市街の外を軽く散策、そして夕食。

魚介類メニューを安くおいしくいただきました。数日前の食生活に思い入れのない某国での「いかソーメンばりかたイカリングドーナツ」の悪夢を軽く吹き飛ばしてくれました。

(余談。語学学校でギリシャ人らもスウェーデンの食材食事などについて激しくDISってたという最新ねた)

そして、夕暮れの中を散歩してまた猫らをからかいながら歩いて、部屋に戻りました。

ちなみに、魔女の宅急便は見ました。やっぱ、ストックホルムとゴットランドですなあれは。
北欧好きらしい宮崎はやおさんらは北欧視察時のお食事には満足したのかな?

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さあ夏休み

今日朝まで働いて帰宅。夏休み。
明日からクロアチア行ってきます。

クロアチアは3回目。2007年、2010年、そして今年2012年(過去ブログ参照)。いずれも夏。
アドリア海は本当に素晴らしい。すでに秋突入の北欧を飛び出し太陽の下はねを伸ばして泳いで
うまいものくってと楽しみである。

日本人のクロアチアの人気も年々上昇というかんじ。今年は知人がすでに2家族行ってきました。

やはり今回のポイントも、島、そしてプリトヴィツェ湖群国立公園。この公園の美しさはやはりリピートする価値あり。

スウェーデンに住んでよかったことのひとつに、日本に住んでいたら行くことはたぶんなかったであろうクロアチアやハンガリー、ルーマニア、ブルガリアなどにいけたこともあげられるでしょう。基本的に、休みになると一刻も早く国外に飛び出すのが恒例です。ちなみに山海山と交互にいっており、山は2009年のノルウェー、2011年のスイス。そして今年は海。やっぱ、海のほうがぶっちゃけ嬉しい(スイスも楽しかったですし、高校時代はなんちゃって登山部だったのですが)海が好き、というTshirtsを着てもいいくらい。
そういえば、小学校時代、夏に水泳同好会みたいなのに通っていて、市の水泳記録会にも出たことがありますわ。クロール50m、たいした記録はでませんでしたが。

今回はクロアチアから抜ける場所が新しい。それはまたご報告します。

それではまたネットがアクセスできるところで!

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Disラー総統のオリンピック観戦とおのぼりさん日記

最近はオリンピックから目が離せない状況です。こちらは時差が1時間しかないのですが、日本のみなさんは大変だろうな、と思います。しかし、それにしてもなんでこんな遅い時間に競技をやってるのだろう?
開会式、最初のほうはすごいなーと思ってみてましたが、途中からははやく行進と聖火ランナーを登場させろと眠気との戦い。
で、あの点灯ですが、個人的にはいままでのオリンピックのように一人がどんとつけるほうがいいとは思うのですが(特に弓矢での点灯がベストでしたね)今回は若者達が大勢でつけて、それらがういーんとたちあがってひとつの聖火台となりました。
この映像をみていて、私は仮面ライダーカブトの変身シーンを思い出しましたが、私だけでしょうかね。
(軽く解説、変身の最後にカブトの角の部分がういーんと持ち上がるんですわ)

放映ではやはり水泳のレースがいままでのところ一番おもしろいかな。手に汗握るし日本人もでてるし。昨日の体操内村選手はみごとでした。しかし表彰式を映さなかったので、KeyholeTVで日本の番組からみることができました。日の丸君が代、最高です。

ところで引っ越したもののここはストックホルム”郊外”であり、ストックホルム市内にはほとんどいくことがありません。
なぜか、引力が足りないからです。
市内にいくとしたら特定の日本食材がきれたとき、スシがくいたくなったときが2つの大きな理由ですが、それ以外はいってもまあひとはうじゃうじゃいますが別に面白くもないしという感じで足が遠のいてました。

で、昨日は両替のためにひさびさに市内へ。

夕方、せっかくなので、飯でも食おうと、日本人にも有名な魚スープの店にいきました。

私がよく頼むのはFish and chipsなんですが、メニューをみていて、イカリングとチップスというのがあり、どんなもんか試してみようとそれ(85SEK)とビール(45SEK)を注文。パン(黒いのと白いの)とサラダ(白菜の太めの千切りにドレッシング)をとってまってました。

で、しばらくまってでてきたのが、フライドポテトのうえに、小型のドーナツのようなものがいくつかおいてあるもの。マヨ系のつけソースもあり。

ちょっといやな予感

で、一口かじってみて、その断面をみると、糸のような太さのイカがしょぼく存在であとは全部衣。。。

他のをくっても同様。イカにいたっては太さにたいしての油での揚げかたが過剰ですでに固くなっているものもあり。

今までの人生でもっとも酷いイカリングにここスウェーデンの首都で遭遇して、おもわず、Disラー総統モードに変身してしまいましたよ。ういーんと。

イカの衣とポテトで腹がいっぱいになり、店を退散。この店の他の料理には意見はありませんが(しいていえば魚スープは私はすでに飽きていて最近注文してません。たまにぬるいし、につまって塩辛いですので)ここのイカリングだけはストックホルムのNG料理として記憶されてもええと思います。

ちなみにスウェーデン人はイカやタコへの思い入れは皆無で、だからこそ試してみたんですけどね。総統に合掌。全く無駄な85クローネ=944円でした。こういうことがあるからこの国での外食への足がますます遠のくんだよな。

帰宅後、近所のスーパーへ。そしたら、同行していた総統の参謀が一言。

「いま、ねずみがそこ横切って、冷蔵の棚の下に入っていったよ。」

その参謀は最近はこちらのコンビニ前でどたどたと走る大型ねずみを目撃して最近ねずみがかっているとのこと。
元すんでた町ではトラップでよくねずみがとれるというお話も聞いている。

私は残念ながら目撃できなかった。

実話で、昔、70年台、ねずみを飼っていてねずみをピザの具材にしていたストックホルムのピザ屋の話をスウェーデン語の教材で昨日みました。都市伝説でなく、実話です。

今日のKeyword オリンピック、変身、イカ、ねずみ

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