ライフ イン スウェーデン

スウェーデンでの日々の雑感、旅行記、サッカー観戦記、などなど。

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飲み直しでの話題

この前、研究者の集まりの後で日本人の知人ふたりとバーで飲みなおした。
その時の話題、もちろん日本をめぐる国際政治状況もあったが、スウェーデン人に関するお話しもあった。
その方のお話しを一言でまとめると、スウェーデン人男性はろくでもない、というものだった。
たぶん、実際に泣かされた日本人女性の話を複数きいているのであろう。
で、その「スウェーデン人男性」も一般的な意味ではなくて、ある限定された人達についてであることは明らかだったが。(ちなみに職場での同僚スウェーデン人男性がひどいと言ってた別の日本人もいるが)

私が日本人女性にすりよってくるトルコ人男性はろくでもない、とつねづね言っているのと変わりはないだろう。

私自身のスウェーデン人男性に対する印象は悪くない。
それは今までこちらで職場の人間関係や仕事上で出会った人たち、アマチュアサッカーチームでこちらに来た最初の2年半一緒にやってたり(移民が多かったが)そこでの体験があるからだろう。もちろん苦手な人はいたけどね。

スウェーデン女性に対する印象は、最初の数年はよろしくなかった。
これもやはり職場、一緒に働いてた人達との印象、テレビの女性政治家の印象、新聞などでの論調をみて反発してそうなったように思う。私の場合仕事以外の社会との接点といえば、前すんでいた町ではたまに行ってた教会関係くらいであったが、そちらのほうではいやな思いはしたことはない。

このように男性女性分けて語ること自体に以前クレームが来たことがあるが、まあ、実際に印象が違うんだからそれをあえて別箇に語らないという理由はないので続ける。

この国は男女同権という原則を遂行するために社会システムを作っているようなもんだと思っている。
充実した両親の育児休暇などそのいい例だろう。
それでもまだ平等でない、と不満な方がいるらしいが、この国以上は地球のどこにもないと思うよ。
共働きが基本なので、家での家事もほぼ分担。これは子供のころからの教育のたまものだと思うけど。

今日の新聞の記事では、そのように家庭で男性が女性と同等もしくはそれ以上の負担がかかった場合、離婚の原因になってるという結果らしいが。まあ、理解できる。
http://www.dn.se/nyheter/vetenskap/norsk-studie-jamstalldhet-ger-fler-skilsmassor

ちなみに最近は慣れたので別にスウェーデン人女性に対しての印象もさほどは悪くはない。
こちらがしゃべれるようになったこと、職場での立場が変わってきたこともその理由のひとつかもしれないが。

で、飲み会での話だが、、スウェーデン男性がろくでもないかどうかに対しては私は意見はいわず、泣いた日本人女性に対しても、その女性がこの国に来るという決断を下すまでには様々な選択肢があって考慮した結果あえてこちらに来たんだろうから後悔はないだろう、と勝手に心の中で想像して、終了した。まあ、それでもやはり後悔するだろうけど、また新しい人生を歩きだせばいい。生きてさえいればなにかいいことはある。

帰りの電車の中でモンゴル人男性に日本語で話しかけられた。
千葉に3年住んでたそうで、流暢な日本語で、ひさびさに日本人と話ができて嬉しいといっていた。
日本に対してはいい思い出があるみたいで、大きな都市ですばらしかったと誉めてくれた。
話がこの国のことになり、この国には何もないし退屈なんだけど、何してすごしているの?と聞かれた(笑)
テレビでサッカー観戦くらいかな、と答えたが、じゃあモンゴル人はモンゴルでどんな楽しみがあるのか聞きたかったが、すぐ駅がきたので話はそこで終わった。
この国の食べ物もだめだめ、という点でも意見が一致したな。

何度もいうが、この国はいい国だと思う。最近町にプロの物乞いが増えてきたが、それでも社会全体が貧しくはないし、アフリカや中東の貧しい国から来た人にとってはいいところだと思う。彼らにとって口にあわない食事と気候と冷たいスウェーデン人を除いてね。この前乗ったタクシーのドライバー、エリトリア人は、楽しくやってるよ~と言ってたので、不満なく生活してる人も当たり前だけど沢山いるんだろうけどね。

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カツカレー

今日の夕食はカツカレーでした。

もちろん、アベさんの自民党総裁就任を祝ってのカツカレーです。
月曜日にレストランナガノでも食べたから今週2回目のカツカレーですが。
そうでなくてもカレーはほぼ週一どこかで食べてはおります。
やはりゴールデンカレー辛口がうまいですね。

アメリカから帰ってきて、日本を取り巻く環境にまさに一喜一憂しつつも
日々日の出は遅くなり日没は早くなりと、スウェーデンはいつもの寒く暗い冬にむけて動いております。

今週はこの国の業界雑誌に前の施設で手伝った論文が掲載されたことがやはりうれしい出来事でした。
データの収集と解析を全部注文通りこなしてセカンドオーサー。
別件でコンタクトをとった数少ない同業者の日本人の返信メールで、みましたよ!おめでとうございます。
の言葉をいただきました。いつものことながら、活字として自分の仕事が世に残るのは嬉しいことです。
今回はスウェーデン語の論文で、というのも初めての経験ですが。
それ以外の仕事では、今の施設で書いた論文がやっとボスのチェックを通過して他の部署の共著者に回りました。
春から読んでくれとお願いしていたほうの論文もやっとチェックを始めてくれました。
そして、来月下旬に締切の、チャプター執筆も他の施設の共著者といい感じで共同で仕上がってきました。
10月で一番大きな仕事は、その道の専門家にも恥ずかしくないチャプターを完成させることです。

今の施設には感謝しております。
トラストミーとボスは電話で言ってくれて、その通りに帰ってくることが出来ました。
私の恩返しは、やはり、いい仕事=現場労働と研究両方とも、をする、それだけです。

もちろん仕事はしんどいことも多いし不満もないわけではないし、給料も安いですが
まあ、とにかく、積み重ねて、来年の自分から文句をいわれないようにしようと思っております。

というわけで、安倍さんの2度目の命がけのチャレンジ、遠くから応援しております。

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The 1st Japan-Sweden fellowship/research network

昨日、The 1st Japan-Sweden fellowship/research networkという会に参加してきました。

在スウェーデン日本人研究者、JSPS(日本学術振興会)同窓会メンバー、日本に関心のあるスウェーデン人研究者、そして国費留学生経験者ら総勢120人参加の大きな会でした。場所はthe Royal Swedish Academy of Science、ストックホルム大学の近くで夕方から開始。少し早くついたので、JSPSの方々、大使館の方々やブースを出してた日本人会の知人や研究者の知人らとまず立ち話。その後、シャンパンを片手に談笑、そして、場所を大講義室に移してお話や講演を聴講しました。渡邉大使からのお話しもありました。
その後がメインイベント、立食形式で寿司を食べ、ドリンクを楽しみながら、日本人、スウェーデン人、そしてスウェーデンへの留学者の方々と大いに交流。
今回第一回目のこの会は非常に楽しく、理系文系を問わず様々な分野を専攻されている方々と幅広く交流が出来て満足でした。
今回は日本人よりもスウェーデン人(外国人)の参加者が多かったとのこと。次回は是非多くの日本人研究者の知人を誘って参加したいものです。


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UEFAチャンピオンズリーグ マンチェスターU vs ガラタサライ

ヨーロッパ、秋から冬にかけての娯楽と言えば、これ、
UEFA チャンピオンズリーグ。去年はチェルシーの優勝。今年はどこかな?

そして、今年私が応援するチームは、「日本人が所属するチーム」
その一つがマンチェスターユナイテッド

日本代表香川選手の活躍が見たい!

ということで今日こちらの時間で845pmから始まった試合を近所のスポーツバーで観戦。

満員の店内、ガラタサライを応援するトルコ移民が結構いることがわかり、ああ、大人しくしておこうと最初に自分を戒める。

試合は開始7分、香川のアシストでワンツーで抜けた背番号16キャリックが先制ゴール。
その後もマンUの攻撃には何らかの形で絡む香川選手。

前半16分に、ガラタサライ選手交代、スウェーデン代表FWエルマンデルIN

彼は私の好きなFWであり、彼の活躍も若干期待する(点を取らない程度に)

試合は、はっきりいって良くも悪くも審判の笛次第という所もあった。それPKちゃうの?という場面が数回あった。それPK?という場面でなんとナニがはずしてマンUは結局1-0で終了。
カウンターから危ない場面もあり、後半はマンUの攻撃陣の決定力のなさもあった。

カウンターやナニがPKを外したところではトルコ人がすごく盛り上がっていた。

香川選手は84分に交代。持ち味は十分だしたと思う。あとはもっと積極的な前へのドリブルとシュートも見せてほしかったといえば贅沢か。

このチャンピオンズリーグの試合に日本人選手がマンUの一員として出られるなんて数年前には考えもしなかったことである。マンガでマンUに所属してる日本人が活躍するものは読んでたが、まさに空想の中の話だった。

エルマンデルはあまりいいとこなかったな。

別のテレビではチェルシーとユベントスの試合をやってた。こちらは2-2.

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映画 僕等がいた ネタバレあり

デルタ航空での映画2本目

僕等がいた。

ネットで拾った解説
解説

累計発行部数1000万部を突破する小畑友紀の人気少女漫画を、前後編の2部作で実写映画化。主演は生田斗真と吉高由里子。「ソラニン」の三木孝浩監督がメガホンをとる。クラスの3分の2の女子が一度は好きになる、非の打ちどころのない男子高校生・矢野は、過去に恋人を交通事故で失い心を閉ざしていた。しかし、明るく前向きで無邪気な七美の存在が次第に矢野の心を開かせていく。やがて2人はさまざま葛藤(かっとう)を乗り越えて恋を実らせるが……。共演に高岡蒼甫、本仮屋ユイカ

ちなみに、飛行機用の編集で前後編が1本になっていて、途中、何のことかわからない状況がありました。ネットで検索してもともと2本だったとしって、やっぱりなと思いました。
具体的に言うと、山本奈々のことが説明不足でさっぱりわからなかったわけです。



ここからネタバレ全開で。

もちろんその人気少女漫画も読んでないのですが、ラスト、お約束の再会で泣きました。

後、私、昨年夏より俳優、高岡蒼甫のファンなのですが、非常にいい演技してました(竹内匡史役)。泣きました。
彼の一途な気持ちはやっぱり届きませんでした。
やるとおもったけどやっぱり、受け取って貰えなかったえらく高そうな婚約指輪は川に投げ込まれました。
こうでないとね。

やはり一番異彩を放っている役柄は、山本有里。彼女がでてくると背筋が凍るという感じでした。
そして、結局矢野元晴が彼女と住んでた、というところは面白い場面でした。

主人公、矢野元晴、がんばってバイトして母親を盛り立てたりしてましたが、彼が北海道に行こうとしたところで母親が飛び降りるという悲劇がすべてを狂わせてしまいました。

そして、頑張って受験勉強している高橋七美に何も知らせなかったことからさらに彼女との関係も崩れて行った。

遠い所にいる彼氏彼女に心配をかけたくないから何も伝えない、これは多分よくあることなんだろうけど、後になって、なんで言ってくれなかったのか、ということになるのも間違いないので、結局はすぐ伝えた方がいいんだよね。

まあ、いい、結局遠回りした二人が北海道で結ばれるというハッピーエンド。マンガとは違うラストらしい。マンガを読む機会がくるかどうかは不明。

まあ、映画前後編、レンタル屋で借りてみるチョイスとしてはありだと思います。

生田斗真、かっこよかったね。
吉高由里子、かわいかった。声が耳についたけど。おくりびとの広末同様
高岡蒼甫、ずっと応援してます!元妻と岡田はずっとdisります。
本仮屋ユイカ、最後がいい感じの終わり方でした。彼女はこうするしかなかったのでしょう。
比嘉愛未、素敵でした。
須藤理彩、ほんの数年みなかったらほんまもんのおばさんになっていてびっくりしました。
麻生祐未、貫禄の演技。

余談、3本目としてbuttleshipをみたら予定通り映画が山場でアムステルダムに到着。見直そう。

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映画 アベンジャーズ ネタバレあり

デルタ航空でみた映画

ネットでの解説文
「解説、人気シリーズ「アイアンマン」や「キャプテン・アメリカ」「マイティ・ソー」「ハルク」から各ヒーローが集合するアクション大作。自ら開発したパワードスーツをまとったアイアンマンとして戦う、億万長者で天才発明家のトニー・スターク、70年間の眠りから覚めた伝説の戦士キャプテン・アメリカ、神の王の息子で神々の国アスガルドから追放されたソー、怒りにより巨人ハルクに変身する科学者ブルース・バナー、女スパイのブラック・ウィドウ、エリートエージェントで弓の達人ホークアイは、人類史上最大の敵の襲来に備えた「アベンジャーズ」として召集される。それぞれの戦いで心に傷を負っていた彼らは、チームとして戦うことを拒むが……。ロバート・ダウニー・Jr.、クリス・エバンス、スカーレット・ヨハンソン、ジェレミー・レナーら、これまでの作品で各キャラクターを演じてきた豪華キャストが集結。」

日本よ、これが映画だ

というキャッチコピーが傲慢だ!ということでやりだまにもあがっていた話題作。

私が上の人気シリーズでみたことがあったのはアイアンマンとハルク、なのでそれ以外のヒーローはここが私にとっては初めて、そういう意味では、彼らの背景のストーリーを知らない分はもったいなかったのかもしれない。

なので、ロキとソーの関わるストーリーはよくわかってなかった。

空母がそのまま空を飛ぶ、という実写はなかなか壮観だった。これが落ちそうになったときのアイアンマンの頑張りは素晴らしかった。やはり一番のヒーローはアイアンマンで、しかし格闘に関しての究極の戦力はハルクといったところか。それ以外の方々は局地戦での活躍。しかし、最後の最後では女性も花をもっていったが。

ラストのマンハッタンでの格闘シーン、ちょうどマンハッタンの旅行の帰りだったので面白く見ることが出来た。

このきれいな女優さん、ファンだったよな、だれだったけな?と思っていて検索してスカーレットヨハンソンとしって納得。

というわけで、スター勢揃いアクションものとして、やはり単純に楽しめる娯楽作品だったと思いますよ。

日本の特撮映画製作のみなさんも、昔はゴジラなどでがんばっていたので、これからも行けるはずと思います。

余談ですが、先日、ウルトラセブンの映像、最終回のハイライトをYoutubeでみて感動で涙と鼻水にあふれました。アンヌ隊員最高!

ちなみにアイアンマンの主人公、トニースタークのスタークという単語はスウェーデン語で「強い」という形容詞だが、ドイツ語でも似たような意味である。

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かつ濱 

9月7日

朝、ボルチモアからニューヨークに移動。

ランチはかつ濱

思い出深い場所である。さくさくとおいしい豚カツをビール一番搾りとともに食べた。

これで今回の旅の目的はほぼ全て果たせた。
牛角2回、ラーメン2回(一風堂1回、山頭火1回)かつ濱1回 シーフード1回
野球3試合、美術館2か所、博物館2か所、日本系スーパー1か所
MLB公式球1個、バブルガム7個、リプケン氏銅像レプリカ、ナショナルズ帽子シャツオリオールズシャツ。
ミシェルオバマ氏のスピーチ、リプケン氏のスピーチ
などなど

ヨーロッパ旅行では味わえない楽しさがある、アメリカ旅行でした。

地下鉄電車を乗り継いでJFK空港

そして飛行機でアムステルダムへ。4時間まってストックホルムアーランダ空港へ。バス電車乗り継いで無事帰宅。


旅ブログは終了。しかし飛行機でみた映画はおもしろかったのでまたコメント書いてみます。

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ヤンキース 6-10 オリオールズ

9月6日

この日はオリオールズにとってとても特別な日だった。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20120908-00000510-sanspo-base
オ軍祝砲6発!OBリプケン氏の銅像除幕式
オリオールズ10-6ヤンキース(6日、ボルティモア)オリオールズは6発の本塁打攻勢で首位攻防戦に先勝。試合前に行われた2632試合連続出場の大リーグ記録を保持する殿堂入りOB、カル・リプケン氏(52)の銅像除幕式を、白星で祝った。リプケン氏は17年前のこの日、ルー・ゲーリッグ(元ヤンキース)の連続出場記録を更新し「優勝争いで球場も盛り上がっていて、自分も興奮している」と話した。「リプケンさんの銅像が建った日に負けられないし、許されない」と先発のハメルも興奮ぎみ。

試合開始前に、銅像除幕式があり、オリオールズの偉大なOBらが出席しておいた。リプケン氏のスピーチでは、今年の9月は例年とは違いチームの優勝争いでわくわくしている、という話もしていた。

ショートの守備位置の芝の上に、彼の背番号8番がプリントされていた。ライト後方の建物の壁にも8番の数字がスポットライトに当てられていた。

そんな特別な日、入場者には銅像のレプリカが無料で配られていた。私もそれをゲット。

この試合、私はオリオールズのT-shirtsを着てみていた。
敵地でヤンキースを応援していることを明らかにするのは場合によっては不愉快な結果となることは今までの経験で知っているから。

この日のオリオールズの打棒はすごくて、まさに花火のようにホームランが舞った。
周りは大喜び、そんななか1人私はにがわらいをしていた。

今年、私はヤンキースを応援している。そう、イチローの花道、という意味でである。イチローにワールドシリーズ優勝のリングを、現役の晩年を飾るの勲章として勝ち取って貰いたいからである。

そして、この日、ゲーム差1の首位攻防戦、ということもあり、スタジアムは4万人以上のファンが駆け付けた。

シートは三塁後方内野席、8列目といういい場所。

試合前、NYのショート、Jeterが目の前でキャッチボールをしていて、スタンドのヤンキースファンが声をかけた。Jeterが彼の方をじっとみて、まあ、まだそう興奮するな、おちついておちついて、というジェスチャーで答えていた。スーパーヒーローは立ち居振る舞いからしてやはり素晴らしい。

この試合、イチローを応援しているものとしても素晴らしい展開であった。

8回表、満塁のチャンスでイチロー。そこで彼のタイムリーが飛び出し、チームは同点に追いついた!

私は感動と鳥肌がたって、喜びで体が震えていた。斜め後ろのヤンキースファンのおばさんと目が合って、握手した。

ずっとイチローの写真を撮っていたので、隣のオリオールズファンの男性も、君はイチローのファンかい、いい選手だよね。と話しかけてきた。

この後8回裏にオリオールズが一発攻勢でヤンキースをつき話して、スタジアムは興奮のるつぼ。

イチローは3安打でひとり気を吐いた。試合はオリオールズが勝って、私は横の男性と前の女性とハイタッチで祝った(オリオールズファンのふりはしていたので)。まあ、この球場ならヤンキースのTshirtsを着ててもあまりいやな思いはしなかっただろうけど、結局イチローシャツは買ってないままだし、NYに戻っても買う機会はなかった。来年もしまだ彼がヤンキースと契約を勝ち取って私がNYに来たら是非買いたいと思う。

野球観戦はアメリカにしても日本にしてもやはり自分にとっては最高の楽しみである。残念ながらスウェーデンでは野球の放送をみることすら殆どないので、シーズン中に日本かアメリカにいかないとみることはできない。
今後はアメリカにちょくちょく来たいなあ、と思っている。

今回、黒田投手とはニアミスだった。彼はこの前日の9月5日にタンパで投げていたから。残念!しかしいつか彼のピッチングも生で見てみたいものである。(私はメジャーでの日本人投手は、野茂投手、大家投手、吉井投手、韓国人ならサムソンリー投手、独立リーグなら佐野投手、品田投手のピッチングを見たことがある)打者ではイチロー選手と、そして新庄選手は彼のサヨナラヒットを見たことがある。やはりメジャーでの日本人選手の活躍は見ていて嬉しいものがある。

リプケン選手の銅像の写真を撮って、いい気分でホテルに戻った。

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ボルチモア ベーブルース生家 スポーツレジェンド博物館

9月6日木曜日

朝、ワシントンD.C.からボルチモアで電車で移動。1時間弱。

駅から市内無料巡回バスでホテルへ。チェックイン後、早速港にむけてあるく。

港に立っていたら突然激しい爆発音。てっきりテロかと思ってその場にしゃがんだ。実際は12時を知らせる号砲を停泊している船が打った音だった。知らなかったりそちらを見てなかったらそんなこと分らないよ。歩いているおばさんが大丈夫か?と笑いながら話しかけてきたが、大丈夫じゃないと答えた。

そしてシーフードのレストランへ。カニケーキ、クラムチャウダー、カニを食べる。悪くなかったが日本人としてはやはりレモン醤油もしくはポン酢で食べたいところ。

そして歩いてオリオール・パーク・アット・カムデン・ヤーズへ。ボルチモアオリオールズの本拠地へ。

ボルチモアオリオールズといえば、1984年に単独チームでエディマレー、カルリプケン選手などが来日。オリオールズの帽子のデザインはその後日本ハムファイターズや阪急ブレーブスがぱくってましたな。

新しい球場といっても20周年とのこと。球場の説明はこちら

ここで2001年4月4日、レッドソックスの野茂英雄がノーヒット・ノーランを達成(レッドソックス 3 - 0 オリオールズ)。両リーグでのノーヒット・ノーラン達成はノーラン・ライアン以来でMLB史上4人目の快挙 BYWIKI

オフィシャルショップでオリオールズグッズを見たが、結局21番のT-SHIRTSを購入。18番の和田選手のものはもちろんなかったしチェン投手のものすらなかった。

歩いてすぐのところにあるベーブルース生家博物館とコンボの球場目の前のスポーツレジェンド博物館へ。

生家ではルースの映像のビデオや彼の使ったグローブなどが展示されていた。
500号ホームランクラブのサインボールには日本プロ野球からは王貞治選手のサインボールが展示されてあった。

ベーブルースはアメリカの野球界で最も愛されたそして今でも語り継がれる選手である。その愛嬌のある体格、そして当時他を寄せ付けないホームランの数。今ではボンズとアーロンに抜かれてしまった記録であるが、人気では圧倒的である。そして子供を愛した数々のエピソード。病気の子供を見舞って彼の為にホームランを打つという話は私も子供のころにすでに知っていた。
手の付けられない悪がきだったルースを学校の牧師さんが野球や職業訓練で教育したという話、そしてルース自身も牧師さんを人生の師と生涯尊敬していたこと。若いころのよき教育者との出会いがいかに大切かがわかる逸話。

レジェンド博物館の展示はまずルースの展示、オリオールズの歴史、そして野球以外のアメフトなどのこの地域の歴史について。
ルースが1934年に来日した時の映像は必見。そして帝国ホテルのシルクのハッピも。
オリオールズの歴史はオリオールズファンには必見。私が知ってる選手はマレー以降だが。
アメフト、コルツがもともとボルチモアにあってそのチームの説明。レイバンズは2001年のスーパーボウルの勝利がやはりメイン。その後のQBの歴史では私の好きなテスタバーデのジャージも展示されてた。

などなど、アメリカの野球やスポーツが好きな人にはたまらない博物館でした。合わせて12ドル。

そして博物館をでてホテルに戻ってそして再び球場へ。この旅最後のイベントはヤンキース対オリオールズ

続く

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シカゴカブス 1-9 ワシントンナショナルズ

ワシントンDCに来た理由の2番目、
ワシントンナショナルズの試合を見ることでした。

ユニオンステーションから地下鉄を乗り継いでボールパークへ。

ワシントンナショナルズというチームの存在を知っているは日本ではメジャーリーグベースボールが好きな人くらいでしょうか。それもイチローや黒田選手がいるヤンキースが所属するアメリカンリーグではない方のリーグなので日本で試合が報道されることもないでしょうし。

私は子供のころから野球が好きで、中学と大学で野球をやりました。見るのも好きで、生まれた時からとある日本の球団のファンで今でも応援しております。高校野球も大学野球もプロも生で見たことがあります。
去年の夏、日本に帰ったときも、4球場で5試合の日本の野球の試合を見ました。
その中で自慢なのは、筒香選手のバックスクリーンへの昨季1号ホームランを見たことですが。

メジャーリーグと私の出会いは、ビッグレッドマシンの異名をとるシンシナチレッズの試合を生観戦したときからです。その日、平日午後の試合だったのですが、私の小学校の担任の先生の言葉「勝ち負けの試合の結果なんかどうでもいいから、アメリカの選手の素晴らしいプレーを見てきなさいね。」という言葉がずっと記憶に残っております。
そしてその言葉をそれからの観戦でも守ってきました。

メジャーリーグでは今回新しいヤンキースタジアムとこの日のワシントンの前まで合計7か所のスタジアムで生観戦したことがあります。まあ、本格的に好きな人はもっと沢山まわっていることでしょうけど。今回この翌日のボルチモアで10か所となりましたが。一番雰囲気がよかったのはやはり歴史を感じるシカゴとボストンです。
ちなみにマイナーリーグの観戦も楽しんだことがありますが、これは違う意味での楽しみと言った感じです。そういえばオープン戦もいったなあ。

新しい球場ももちろん魅力があります。ここワシントンもそう。

さっそくオフィシャルショップで帽子と背番号37番TSHIRTSを購入。背番号37番のピッチャー、ストラスバーグは球界を代表する素晴らしい若いピッチャーです。

この日の登板は背番号47番のジオゴンザレス。左の速球投手。

これもネットで買ってたシートは左翼ポール際。
びっくりしたのは、カブスのレフトを守っていたのがなんとアルフォンソソリアーノ
広島カープ、ヤンキース、レンジャースにいたことは知ってたけど2007年からシカゴだったんですね。
この日も4番打者でしたが3打席ノーヒットで最後は代打だされてました。

この試合、ワシントンが6ホームランでカブスを粉砕。カブスは最終回に1ホームランで9-1

日本はちっともホームランが最近でないという記事を見ましたが、残念ですね。
やはりホームランを見ることが、球場で試合を見る大きな楽しみの一つといっていいでしょう。

ボールの軌道を追いかけて、外野手の動きをみて、そしてボールがスタンドイン!ゆっくりグラウンドを走る選手、盛り上がる球場。最高です。

ワシントンは現在首位を走るチームですが、その打撃の破壊力を見せつけられました。優勝候補筆頭といっていいでしょうね。

この試合が終了するころには、私は一塁側のベンチの真上一列目にいたのですが、試合後、小さなバケツに入ったガムを選手がベンチ上の上の屋根に放り投げて子供たちがそれをゲットしてました。そういう私も7こゲット。

そしてそして、ボールも投げたのですがそれが私の目の前にきてなんなくゲット!

うれしいメジャー公式球ゲットとなりました。これが自身2こ目となりました。昔ゲットしたのは実家の部屋の段ボールの中ですが。

やはり野球の球場での生観戦はアメリカ旅行の大きな楽しみであり喜びですな。

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国立航空宇宙博物館

美術館をでて、公園を挟んだ向こう側にある国立航空宇宙博物館へ。

国立航空宇宙博物館はWIKIによると「、スミソニアン協会が管理・運営するスミソニアン博物館群の一つでもある。航空機と宇宙船関係の展示物を展示している博物館の中では世界でも最大級の博物館である。また同博物館は地球惑星科学や地球地理学、地球物理学などと同じくして、航空学・宇宙飛行の歴史、科学、技術を研究する極めて重要な中央施設である。」
(もうひとつ、スティーブン・F・ウドヴァーヘイジー・センター という別館が離れた所にあり、そこにはエノラゲイが展示されている。いつか行きたいとは思っているが今回の日程では無理だった。)

私がこの国立航空宇宙博物館に来るのは2回目。

前回のこの博物館の心に残っている印象は、航空機もさることながら、ひとりの日本軍人の凛々しい一枚の写真であった。

その写真をもう一度みたくてここまできた。

友永 丈市 海軍中佐
写真と略歴はこちらである。

航空機の歴史はライト兄弟から始まるが、第一次第二次世界大戦と軍事利用の歴史の意義は大きく、この博物館でも第一次、第二次世界大戦、そして、海上航空に関する展示がある。

本物のライト兄弟の飛行機の展示

第二次世界大戦の展示では、日本の零戦が展示されている。そして、東京へのアメリカの空爆の説明もある。

海上航空の歴史では日本との戦いがメインである。レイテ沖海戦やミッドウェー海戦、硫黄島の戦いなど。当時の映像記録も見ることが出来て、他の日本人の方も熱心に見ていた。

もちろん、日本人にとって辛い映像や写真の展示ではある。

アメリカはパールハーバー奇襲を日本の卑怯な攻撃としているが、それ以降の海戦や戦いに関しては、もちろんアメリカが結局勝ったこともあるが、戦いの記載は偏ったものではない。

戦いには双方大義があり、しかしながら、亡くなった自国の軍人を弔う、そして戦った相手の国の軍人に対しても敬意をもつ、というのが国際的な常識です。

私はオーストラリア、キャンベラの戦争博物館にいったことがあります。
オーストラリアにとって当時の日本は、本土に急襲してきた敵、そしてシドニーに潜水艦を侵攻させてきた恐るべき国です。
しかしながら、その展示では、日本軍人の勇気を称えて、亡くなった日本人の潜水艦乗り組み員を手厚く弔ったという記載がありました。

ネットではこちらから引用
http://www2s.biglobe.ne.jp/%257Enippon/nagoshi/nikkan_696.htm
「第二次世界大戦中、日本海軍はオーストラリアのシドニー軍港を特殊潜行艇という小さな潜水艦で奇襲攻撃しました。オーストラリア軍はその勇気に敬意を表し、特殊潜航艇を引き揚げ、昭和十七年五月三十一日、戦死した四人の日本軍人(松尾敬宇大尉ら)を海軍葬の礼をもって弔いました。海軍葬の推進役になつたシドニー地区海軍司令官のモアヘッド・グールド少将は、「これらの日本の海軍軍人によって示された勇気は、誰もが認めるべきであり、一様に讃えるべきである。このような鉄の棺桶に乗つて死地に赴くには、最高度の勇気がいる。これら勇士の犠牲的精神の千分の一でも持って、祖国に捧げるオーストラリア人が、果して何人いるであろうか」と弔辞を述べました。」

戦争において、一般民間人への無差別な空爆や原子力爆弾の投下などは許しがたい行為だと思われます。もちろんそれも含めて戦争なのですが。

スウェーデンの軍事博物館。最初に入る部屋では、「人間は昔から戦争をずっと続けてきた。戦うのが、戦争するのが人間である。」という現実を子供に知らせるところから始まります。
数年前まで徴兵制があった国ですから、国が軍事力を保持して敵に対して備えるというのはヨーロッパでは大国だろうが小国だろうが当たり前のことです。かなりの長い年月戦争をしていないスウェーデンでもそういう理論です。私は海外旅行にいくとその国の軍事博物館には可能な限りいくことにしております。そこでその国の歴史の重み、そして国家の歴史とは血と闘いの上にのみ存在するという現実がわかります。

日本では憲法第9条があるから平和だと思っている人がいますが、それは間違いで、日本が平和なのは自衛隊(日本の海軍、空軍、陸軍の軍事力)があるからです。日本ではきれいごとを唱えたら、友愛を唱えたら他の国は攻撃してこないと思っている政治家がいますが驚きです。そして現在の日本は周辺国いずれとも現在進行形で国境紛争を抱える世界でも珍しい国なのですが。

話は戻りますが、私は12年前の夏、このスミソニアンの国立航空宇宙博物館で友永中佐の写真をみて、激しく心を動かされたのですが、その場所に再び戻ってこられて非常に感慨深いものがありました。

私は、98年にサイパンに行ったときには、テニアン島に行きました。そこで長崎と広島に原爆を落としたB29の発進した滑走路を歩きました。目を閉じると、広島、長崎に向けて飛び立ったB29が脳裏に浮かびました。人間がもっとも残酷になった日が1945年の8月でした。

私は戦争を愛好するものではありません。しかしながら、古今東西戦ってきた兵士には敬意を忘れないようにしております。原爆投下が戦争終結とは関係ない不必要な人体実験であることは間違いないと思っておりますが、責められるのは作戦を決定した人でしょう。

アメリカと日本が現在このような関係があるのは、日本が全力でアメリカに立ち向かった、戦ったからだと思っております。戦うということはもちろん失うものも大きいですが、それでなければ得られないものもあると思っております。それは現実の戦闘にかぎらず、わらってなーなーですませることが他国との関係を維持するわけではありあません。

私が今こうやって生きているのは、日本の歴史の上で生きてきた名もなき人々、そして戦って亡くなられた多くの方々のおかげである、ということは常々思っております。私は日本に帰って東京に滞在する時は、可能な限り靖国神社に参拝しております。

昨年夏は、鹿児島県知覧に行く機会がありました。そこには知覧特攻平和会館があります。多くの特攻でなくなった方々の遺書や写真は涙なしには見られませんでした。しかし、日本が歩んできた歴史を日本人は知るべきでしょう。日本に住まれている方なら週末でいけると思います。是非いってほしい場所です。

話をワシントンに戻します。宇宙に関するコーナー、やはり60年代からの宇宙への歴史の展示とビデオは非常にわくわくしました。

この国立航空宇宙博物館はやはりワシントンDCでのおすすめNo1でしょうね。ちなみに入場無料。

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ナショナル・ギャラリー・オブ・アート

9月5日

朝ホテルをチェックインして地下鉄を乗り継いでペンステーションへ。

7時17分のAmtrakでワシントンDCへ移動。
このチケットはネットで購入してました。

電車内でWifi使用可能でツイッターなどしておりました。

ワシントンDCのユニオンステーションに到着。駅前のホテルにチェックイン。

そして歩いてナショナル・ギャラリー・オブ・アートへ。

この美術館も素晴らしい。NYにしろボストンにしろここにしろ、多くのヨーロッパの美術品を大西洋を越えて集めたその努力と財力には目を見張るものがあります。

この美術館の見所はこちら参照

フェルメールを一挙3作見ることが出来た。(残念ながら天秤を持つ女は展示されてなかったが)

やはりフランスの印象派の絵画は見ていて楽しい。

ここから激しく私事の思い出話おっさんのよた話だが付き合ってほしい。

子供のころ町の公民館で絵を習っていた。
市の絵画展や県の動物園のコンクール、大学の絵画コンクールではいい賞をたくさんもらって賞状や楯、トロフィーなどを手に入れた。表彰式もいい思い出。
理由は明らか。二人目の私の絵画の先生が点描画を教えてくれたから。
他の子供たちがべちゃっと色を塗ってる時、当時の私は複数の色で点描していたので違いをつくることができた。
もちろんそれだけではなかっただろうけど。小学3年生の時にもらったとある大学の理事長賞は一人目の絵の先生の時で、ヘリコプターを正面から描くという構図が評価されたと思っている。
しかし子供のころいい絵をかいていい賞をもらってその後ただの人になるのはほとんどの人の世の流れ。中学校の写生大会では金賞そして最後銀賞で私の絵画表彰人生は終了した。高校時代の美術の時間、いい絵を描いたはずなのだが、当時好きな人にあげてしまったので手元にない。その絵は、自分の未来を描け、というお題で、白いスーツを着こなした未来の自分、背景には石畳の坂。そう、ヨーロッパの街並み、そして白いオープンカーの後姿を描いたもので、ナルシスト全開の最高の出来だった。その絵はどうせ捨てられたのだろうからあげてしまったことを激しく後悔(笑)している。今ヨーロッパにいることだけは未来を当てたのだが、その未来予想図にあって現在足らないものは、白いスーツと白いオープンカー。石畳もここスウェーデンにないことはないがやはりフランスかイタリアでないとなあ。。
それはともかく、水彩画しか習ってないので、定年後には油絵を習いたいなあと思ってはいる。

で現実のワシントンDC,絵画を楽しむがその前に美術館のスペイン料理のレストランで食事。美術館の入場料は無料なのでその分こちらで使ったという感じか。

ゆっくり見たい美術館であったが次の予定も迫っており最後は早足で駆け抜けて美術館を後にする。



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ミツワマーケットプレイス ニュージャージー ・らーめん山頭火

昨日土曜日にスウェーデンに戻りました。
時差でとほほなんですが、アメリカ旅行の思い出をまとめておきます。

アメリカ自然史博物館の後行った場所は

ミツワマーケットプレイス ニュージャージー
http://www.mitsuwa.com/tenpo/newj/index.html

「NJのハドソン川沿いに位置するMitsuwaマーケットプレイス・ニュージャージー店は、食料品スーパーマーケットと20以上の専門店からなる日系最大級の総合ショッピングセンターです。レストラン街では、本格的和食の食彩庵「茅場」・とんかつ専門店「かつ華」・「らーめん山頭火」、「東京飯店」など数々の銘店の逸品がお手頃なお値段でお楽しみ頂けます。」

さっそく「らーめん山頭火」さんでおいしいラーメンをお手ごろ価格でいただきました。

その後、酒屋も惣菜もそろっているスーパーで日本食材をまとめて購入しました。

この環境、スウェーデン在住者からしたらうらやましいかぎりです。(しかしそのスウェーデン首都圏はいちおう日本食材店もあるのでましなほうなのですが)

ビールとたこ刺身(これスウェーデンでは冷凍ものしか手にはいらないので)とねぎとろ(そもそも手に入らない)とおにぎりを買って帰ってホテルで食べました。
失敗は、袋にはいっているのが醤油と思い込んでたらわさびだったので、塩で食べたことですが、それでも十分いけました。

この夜、テレビで民主党大会を見ていたのだが、大統領夫人ミシェルオバマさんのスピーチにしびれました。

日本の政治家の奥さんのスピーチと言えば「主人を男にしてください」と頭をふかぶかと下げるシーンしか思い浮かばない(笑)のだが、ミシェルさんの数万人を前にしたスピーチは、まさに数百万票を動かす力があったといっていいだろう。

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アメリカ自然史博物館

9月4日

この日は、アメリカ自然史博物館にいってまいりました。

「ナイトミュージアム」という映画の舞台となったとのこと。私は見てないのですが。

午前、まずはプラネタリウム。太陽系の歴史を巨大プラネタリウムで学びました。
眠気と闘いながらですが(笑)

早めのランチをカフェでとって、午後、巨大なクジラの模型の部屋や、アフリカの部屋、アメリカンインディアンの部屋、そして恐竜の化石やマンモスの化石を見て回りました。

ステゴザウルスやティラノサウルスやプテラノドンなどの化石がどどどんと展示されてました。
その迫力はなかなかのもので、大泣きしていた女の子もいました。

学研の「恐竜の秘密」をよんでわくわくしていたころを思い出しました。

アメリカンインディアンやアマゾン、インカの展示なども今まで見たことがないくらい充実した民族史博物館でもありました。日本の展示も少しですがありました。

自然史博物館としてもやはり世界屈指であることは間違いないでしょう。多くの動物の剥製や模型、地形の変化の説明や鉱石も展示されております。
恐竜の化石やマンモスの化石が好きな人には特におすすめの博物館でした。

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メトロポリタン美術館

9月3日

今日はメトロポリタン美術館で1日過ごした。
この美術館はその充実したコレクションで世界三大美術館の一つとされており、過去2回行ったことがあるが今回の旅のメインの目的の一つである。

まずは絵画からまわる。

おめあてはフェルメールだった。フェルメールの作品は現存しているもので30数点しかないが、ヨーロッパの美術館(アムステルダム、デンハーグ、ベルリン、ドレスデン、ルーブル、ウィーン)で鑑賞することができたので、今回メトロポリタンで4点あるうちのいくつかみられたらと思っていた。
しかし、残念ながらひとつ(眠る女)しか展示してなかった。まあ、仕方ない。

外、フランスの画家の作品の充実ぶりは目を見張るものがある、もちろん、ピカソやゴッホなどの有名どころの
作品も楽しめる。
日本の美術や甲冑などの展示もすばらしい。ニューヨークで縄文式弥生式土器や青銅の銅鐸、仏像などを見られるとは思ってもなかった。

ランチは館内のカフェでとり、閉館の5時30分まででやっと全部早足で見たという感じか。

ところで今回の目的の一つは、以前、まさに惚れた作品とまたあいたかったこと。

作品はピエール・オーギュスト・コットの嵐。興味がある人は画像検索してください。
今回、彼の、春、という別の作品のすばらしさもしりました。画像はこちらです。(出展はWIKI)

夕方、スポーツオーソリティーというスポーツ用品店にいくも、KURODA18のTshirtsはなし。大量のICIROユニフォームはあったが。
ちなみに、ヤンキースタジアムのオフィシャルショップで135ドルですがこの店では100ドルです。NYで彼のユニを買いたいと思う人への情報です。

晩飯は牛角でカルビとホルモンを飽きるほど食いました。

ヤンキースの試合とメトロポリタン、牛角、一風堂とすでにNYの旅の目的のほとんどは達したといったところです。


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NYC散策

9月2日
ヤンキースタジアムを後にして、向かった場所はロックフェラーセンター。そしてその横のNBCのグッズ売り場をみた。ロックフェラーセンターは、NFLの9月5日の試合、NYGIANTSとカウボーイズの試合の宣伝があった。
秋から冬にかけてのアメリカ、MLBは山場、土曜日はカレッジフットボール、日曜日はNFL,アイスホッケーが好きな人はそちらもあり、たまらない。
7Th AVEがホコテンになってて屋台など見ながら北に向かって歩く。
おめあての焼き鳥屋、45分まちということで諦め、すぐ近くのレストランへ

HOOTERS

誠にアメリカンなレストランである。その特徴はHOOTERSで画像でググッたらすぐわかる。
スウェーデンには到底店舗展開できないレストランである。

アメリカンにバドワイザー、チキンウイング、フライドポテト、チーズバーガーを楽しんだ。

ホテルに戻って、デトロイトとシカゴWソックスの試合を観戦した。フィルダーの息子が立派な体格で活躍。試合もホームランでデトロイトが決めた。

そんなアメリカンな1日であった。

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ボルチモアオリオールズ 8-3 ニューヨークヤンキース

9月2日日曜日

一風堂NYでのランチのあと電車で向かった場所は、新しいヤンキースタジアム。

前回私がヤンキースタジアムに来たのは、くしくも2004年9月2日。

その日の模様は、こちら

そう、インディアンスの多田野数人投手が、メジャーの強打者アレックスロドリゲスにスローボールを投げたあの日。

私は彼が中継ぎで出るため投球練習を開始した時、ブルペンをただ一人、レフトスタンドから見つめていた。
そしてA-RODとの対決、あのスローボールを投げた瞬間は忘れられない思い出である。
同じ日にみた松井選手のプレーは全く覚えていないのに。

そして、8年たった今年、私の目当ては、今年シアトルマリナーズからニューヨークヤンキースに移籍した、日本の最高選手、イチロー選手を見ることである。

しかし、実は今日のチケットは移籍が決まる前にすでにネットで買っていたので、正確にはイチロー目当てだけではないのだが。

新しいヤンキースタジアム、私の席は内野の最上段だが、この球場、下の階をうろうろできるし立ち見で素晴らしいアングルから観戦することもできた。

旧ヤンキースタジアムの場所が市民が使える野球場となっていた。これをみて感慨深いものがあった。


ちなみにイチロー選手のプレーをみるのも初めてではない。

私はイチロー対野茂投手(当時ボストン)の対決を生でみた。そのような歴史的な対決を生で見られたことは今でもいい思い出である。

そして2012年、イチロー選手の打率は、彼が今まで残してきた数字では考えられない数字である。
彼自身も、2割7分に届かない野手に対して、いままで自分とは違うレベルの選手と思っていたことは想像にかたくない。
そして、今年彼がそのような数字しか残せない選手になった。

誰でも年をとり、華々しいキャリアは下降線をたどり、もしくや急降下して晩年にさしかかる。

今日、彼の4打席を注目してみた。
彼はいつもの彼で、攻撃時も守備時もつねに筋肉をほぐし、最高のパフォーマンスをする準備をしていた。

しかし、彼は私が11年前にみた選手とはやはり違っていた。1安打は抜いた球を左に合わせてうってテキサスである。はじめの2打席は凡退、勝負が決まった最終回ではゲッツー。
正直、試合の流れや勝負を決定づける仕事を託されている選手ではなくなっていた。

それでも彼の31番のT-shirtsは飛ぶように(日本人がメインながら)売れている模様。
私が残念だったのは、球場のオフィシャルショップで黒田18番T-shirtsが売られてなかったことである。
ホテルに戻って検索したら商品自体はある。機会があればスポーツ店で買いたい一品である。
しかしながら、主戦投手のシャツもグッズも皆無のオフィシャルショップ、ちょっと日本人エース(と日本人の購買力)をなめてないか?
おもしろかったのが、球場内に、サインボールなどのお宝品ショップがあったことである。
松井選手に関するものはあるか、と聞いたら、
ワールドシリーズMVPトロフィーを抱える彼の写真に直筆サインがはいったものが400ドル。
イチロー選手に関しては、サイン入りボール410ドル、サイン入りバット1000ドル。
このような商品の価値というのは、野球への思い入れがあるかないかでプライスレスもしくは0である。
私の場合は適切価格なら欲しいとは思うが、もう何が適切なのかこれではわからなくなった。
ちなみに他の選手のサインボールはその半値以下なので、これは日本人が買うという値段設定なのだろう。

試合の他の見所は、NYの生きるレジェンドとなったジーターの打撃や、NYY8投手、BOL5投手とブルペン投手をとっかえひっかえで見られたこと、両軍合わせて3ホームランを見られたこと。
ちなみにボルチモアの背番号12の一塁のレイノルド、MBLの動画でその打棒は確認して注目していたらこの日2HR含む3安打と大暴れであった。

私にとっては、メジャーリーグは、シンシナチレッズの来日したプレーを生で観戦して以来の憧れの舞台、最高のリーグである。ここ数年はステロイド問題もあったが、それを乗り越えて歴史は続く。

イチロー選手は来年ヤンキースと契約を結べるかどうか微妙だと正直思う。
守備がいい、将来のある若手を育てようと思うのが当然である。
関係ないが、ヤンキースのAAAには福留選手までいるが、、

しかし彼の晩年の輝きを見ることが出来たのは意義があった。ちなみに2007年SFではバリーボンズの一発も見ることが出来た。

日程上ヤンキースタジアムはこの1試合だけである。しかしながら、新しい球場そして日本の誇りイチロー選手をみられて気分よくスタジアムを後にした。黒田選手のローテがあわなかったのが残念ではあるが。

余談、私にとって背番号31といえば、掛布選手の一択。イチロー選手の31番は終始違和感があった。シャツもMサイズが売り切れで結局買わず。

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WTC

9月2日日曜日

早朝に目が覚め、ブログ更新
ホテル朝食。

そしてまず向かった場所はワールドトレードセンター

WTCメモリアルに入るには無料だがチケットを取らないといけないとのことで、私はそこには入らなかった。

2001年9月11日のインパクトは非常に大きなものだったと思う。
アメリカの歴史においても。
そして争いの火種はまだ残っているといっていいだろう。
というか、解決可能なものではないのかもしれない。

消防署の壁にある記念碑と殉職された消防士の方々の写真をみて、胸が熱くなった。



あるいてバッテリー公園へ。自由の女神をひさしぶりに見る。
今回は日程の関係で近くまでいけるかどうかは不明。

そして、一風堂NYへ。開店8分前に行ったらすでに店の前に列ができていた。

単品のカニコロッケ、ラーメン煮卵替え玉。ビールはNYは12時まではだせないということで飲めなかった。

ラーメンは日本で食べる味と全く同じ。すばらしいの一言。

まあ、これも安くはないんだけど、ここは日本ではない。
食べたいものに幾らまでだせるか、ということになるが、ラーメン15ドル、どうでしょうね。
列ができるほどの人気ならば、NewYorker旅行者あわせて納得ということでしょうか。

そして、予定通りのランチの後、向かう場所は。。

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牛角NY

2012年9月1日土曜日

頭痛とむかつきがおさまったのを見計らい、夕食を食べに町へ。

地下鉄を乗り継いで牛角へ。

クライスラービルがみえる通りを歩く。NYCを体で感じる。

この町を歩くのは8年振りである。5年前に学会でアメリカに来たがその時はSFだった。

この数年だけでも大きな変化がアメリカにあった。

今ヤフーファイナンスでみたら、1ドル78.38円。これは20世紀からアメリカに旅したりかかわっていた者からしたら驚愕の数値である。
大統領はオバマ氏。私のその時の大統領選予想はみごとにはずれた。はっきりいって驚愕の結果だった。

なので、私が知っているアメリカと2012年のアメリカは大きく変わっているかもしれない。それを今回短い期間だが注意してみようと思う。

ビールで連れと乾杯。このころには体調は復活。キムチもりあわせ、塩タン2人前から入り、カルビ3人前、バラ、塩ホルモン1人前を食べる。カルビのおいしさ、ホルモンの懐かしさが、私を日本で食いたいだけおいしいものを食っていたあの頃へフラッシュバックさせる。そう、2005年の3月末までの話である。あれから7年と5か月。私は日本を離れた日にくらべ現在4,5キロやせている。理由は言うまでもない、スウェーデンで外食をほとんどしないからである。ありがとう!スウェーデン。日本にいたら今頃メタボでやばいことになっていたことだけは確かである。この文章は嫌味と本音が入り乱れていて自分でもわけわからない!

冷麺で〆て、お茶を飲んで、満足。15%のチップをおいても現在のレートでは大した額ではない(とはいってももちろん日本の牛角で食べた方が安いけどね)ちょうどビールとカルビとタンのわりびきセール期間なのが嬉しかった。

滞在中毎日きてもいい、と言う気持ちは、スウェーデン在住者には共感してもらえるところだろう。

真っ直ぐホテルに帰って、テレビでカレッジフットボールを途中まで見て、早めに寝た。

そして起きて9月2日早朝にこれを書いている次第である。

今日のメインイベントはもちろん。。。



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JFKにて

アメリカ時間お昼の1230分くらいにランディング。

そこから長い道をトイレを探しながら歩くも見当たらず。そして入国審査のホールへ。列に並んだら背後にトイレがあった。時すでに遅し。

ココからが最悪だった。

この列に2時間並ぶ羽目になったのだ。

入国審査で初めての人はひとりひとり指紋と写真を取られる。カウンターもホール一杯にあるが、キャパシティー不足は明らか。

並びながらちょっとましになった頭痛そして依然として残る腹部のむかつき。

館内放送
「現在入国審査が込み合っており、2時間待ちとなっております。みなさまの忍耐ありがとうございます(直訳)
乗り継ぎ時間が迫っている人は係員に相談してください」

2時間ならびやっと自分の番になり10本の指のスキャンと顔面の写真、そしてやっと入国。

荷物はくるくるまわる台からすでに降ろされていた。こんなの初めてだ。

午後3時過ぎにやっと空港のトイレへ。

アメリカ到着で最初にしたことが、ゲロというのもなさけなかった。え?すっぱいはずのゲロが甘い、と思っていたらでてきたのはアイスクリームだけだった。以前旅行先で子供のアイスクリーム噴水ゲロやクロアチア路上ゲロをおもしろがってみていたバチがあたったかんじだ(すみません汚いことかいて)

エアポートトレインに乗りジャマイカ駅へ。

ここは乗った後支払うシステム。これからのる地下鉄のカード(メトロカード)とその清算をしたいのだが、何度自動販売機でみても欲しいメトロカード7日券がない。よこのキヨスクで聞いたらそこにあったので無事手に入れた。

で、駅を出ようとしても買ったばかりのチケットを読み込んでくれない。

涙目で係員を探そうとしたら、後ろのお姉さんが、カードを逆にしていれることを教えてくれて出られた。

カードには⇒がかいてあった。。

そして地下鉄の駅にいったら、蒸し風呂の暑さで閉口。

しばらくしてQueeensのホテルの近くの駅に到着。しばらく歩いて無事チェックイン。痛み止めを飲む。

ここからがNYの旅の始まり。早い時間に飛行機が到着したので午後のNYを楽しめると思ったら入国審査があの状況で話にならなかった。

すでにここまでで結構疲れ果てた。すべて自分の問題なんだけどね。

より気分を引き締めないと。。


続く。


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機内にて

デルタ航空
スウェーデンアーランダ空港とアメリカJFK空港を8時間で結ぶ。

窓際の席。朝からのトラブルで、いつものお約束「空港マックで朝食」ができずに空腹。

10時15分に雨のスウェーデンを飛び立つ。ヘイドースバーリイェ

しばらくしておつまみとドリンク。ドリンクはミラーライト。缶をくまなくみたがアルコール度数%が表示されてなかった。

エディーマーフィーの映画をみながらランチ。鶏の胸肉のグリル。これがうまかった。ドリンクは白ワインと水。

この後寝たり起きたり。イヤホンの接続部分が寝てる間に崩壊したため、次のジョージクルーニーの映画は見ることが出来なかった。

窓の外は何もない土地、島と海岸線。たぶんカナダとアメリカ北部の東海岸と思われる景色を見ていた。

ここでトラブル発生。

頭が痛くなってきた。考えられるのは、コップ1杯の白ワインだろう。日頃のみ慣れてないものを空腹で飲むとたいていこうなる。いくつになっても同じ過ちを犯すMaggie Q2000xx歳。

痛みどめはチェックインしたカバンの中なので席で耐える。場合によってはスチュワーデスさんにいえば痛み止めをもらえることもあるが、窓際の席で隣のインド人が寝ているので動けない。

そして軽食。ピザをまるめたようなものとアイスクリームと紅茶。あまりおいしくないピザだったが次の食事までの間隔を考えて全部胃袋に放り込み、アイスと紅茶でしめた。

そして、この後飛行機はNYに近付く。

そして私は今度は頭痛と吐き気のダブル攻撃に苦しむようになった。

せっかくのひさびさのアメリカへのランディングを苦悶の表情で迎える。

教訓。。。いいかげんに覚えろよ。。

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ファットイズESTA? アイアムジャパニーズ!

9月1日土曜日

小雨の町を後に、電車バス乗り継ぎでアーランダ空港へ。
しかしいきなりトラブル。チェックインできない。

「ESTAの申請をネットでしましたか?」

「なんですかそれは?私は日本人です。ビザもいらないし、2007年にアメリカに行ったときに何の問題もありませんでした。」

「ルールが変わって、スウェーデン人も日本人もESTAの申請を事前にしなければチケット発券できません。」

「?!」

指示どおりに空港のネットが出来る場所でESTAの申請をして、なんとかチケット発券。

一行でかくとこうだが、実際は冷や汗ものだった。

情けないが、事前の調査、入国審査の確認を怠っていた。5年前にそんなことをした覚えがなかったから。反省のスタートとなる。地球の歩き方にしっかり書いてあった。。

ちなみに空港でこのような事態は2回目。1回目はオーストラリアへ2007年に学会で行ったとき。
知らなかったのだが、日本人の旅行でもオーストラリアに入国するにはビザが必要、とこれまたチケットカウンターでいわれた。頭が真っ白になったとき、あそこの航空会社のカウンターでビザを買えるから買っておいで、といわれて事なきを得た。これも学生の時にオーストラリアに2回行ったがそういう記憶がなかったことが原因。

ヨーロッパのEU内の楽な移動しか最近してなかったこともあるだろう。

とにかく、パスポートとチケットさえとれば大丈夫と思うのは大間違いである。

この後チケットは得られるが席は搭乗口で決められることになり、なかなかきまらずしばらくたたされて待たされた。それはともかく、なんとか席は確保できて、やっとNYへの旅へ。

続く

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PCあぼーん

ご無沙汰です。

旅行から帰ってきてPCに写真いれたら次の日の朝から起動しなくなり、あれこれやってなんとか起動させたのですがその後症状が悪化してついに立ち上がらなくなりました。写真は救出できませんでした。
東芝のdynabook
まだ2年しかたってないのに。
写真をしこたまいれた、Adobeを更新したくらいしか思い当たる節はないのだが、どうも不調で強制終了を繰り返したのが悪かったのだろう。
しかし、いままでマックからはじまりこの東芝で4機種めのラップトップで今までここまでダメージを受けたことはなかったのだが、、
そもそも買った直後から起動にWindowsとの相性が悪いとかで起動でトラブルがあった。
東芝はめったに故障しないという情報を聞いてたのだが、、
次日本に帰ったときに修理に出すしかないという状況です。
(スウェーデンでの修理を検索したけど高いし信頼もできないし)

Anyway おかげでブログの旅ブログの更新は中止されました。借り物PCでこそこそネットにつないでます。

この2週間は普通に働いてました。書き物も自分の手を離れて共著者がチェック中。

明日から1週間のお休み、休みがくると一刻も早く出国するという習慣となったので、某所にいってまいります。

某所とはどこか?

それは次回のエントリーをお楽しみに。

それではまた。

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